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戦前の最大娯楽、映画上映事情


 明日、12月1日は映画の日です。そこで今日は、戦前の三重県下の映画上映についてお話ししましょう。
 最近の映画界は、テレビやビデオに押されて、ちょっと活気がないようですが、それでも映画館に行けば、毎日何かしらの映画が上映されています。
 ところが、大正初期の新聞を見てみますと、映画は芝居小屋で、歌舞伎や「女大角力」(おんなおおずもう)の興行の合間に行われていたようです。その頃の映画は、無声のもので、弁士が面白おかしく話の筋をつけていたのでした。
 また、大正2年(1913)の新聞にも「津曙座、本日より大活動写真開演に付き、主席弁士山村旭洋は既に先発隊として昨日乗込み、舞台拵え其他に奔走中なるが、今回は総て漸新奇抜の大写真のみを選抜したれば定めて見物ならん」とありますが、漸新奇抜な活動写真とはどんなものだったのか大変興味がありますね。
 当時は、幕間に「お茶子」が客席を回って、みかん水・落花生・おせんべいやキャラメルを節回しも軽やかに売っていたようです。そして、映画が終わると、真暗な街の中を提灯で足元を照らしながら帰ったということです。なんとものどかな映画鑑賞だったのでしょう。
 大正4年になると、現在のように映画興行を専門に行う所が出てきましたその頃の新聞に、津曙座の面白い広告が出ています。「クラブ化粧品御持参の方は入場無料、活動写真が只で見られます」というものです。今の商店街がお得意様を観劇や旅行に招待するようなものが、当時も行われていたんですね。その時の映画は、軍事大活劇や西洋の活劇など十数種で、「晴雨に拘わらず午後6時開場」となっています。
 これより26年後の昭和16年(1941)、この頃は戦時体制が強まっていますが、朝日新聞中央調査会が行った「地方娯楽調査資料」(『近代庶民生活誌第8巻所収)によれば、三重県では、やはり映画が最大の娯楽となっています。たとえば、津市内には映画常設館が4つあり、入場者は月平均約 2,000 人だったそうです。
 しかし、この頃はニュース映画や文化映画が強制的に上映されていたこともあり、もっとくだけた娯楽性の高い映画を望む声もあったようです。

(昭和63年11月 多上幸子)

伊勢新聞広告(大正2年)

伊勢新聞広告(大正2年)

津の観音境内にあった曙座(吉川仁氏提供)

津の観音境内にあった曙座(吉川仁氏提供)

参考文献

南博『近代庶民生活誌』第八巻 三一書房 昭和63年
久保仁『ローカル映画館史』三重県興行環境衛生同業組合 平成元年

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