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明治初期の公園指定と博覧会開催


 三重県には、津の偕楽公園、上野市の上野公園、松阪市の松阪公園をはじめとして、各地にすばらしい公園があります。
 これらの公園は、いつ頃、どのようないきさつで定められたか、ご存じでしょうか。
県庁に残っている明治の初めの頃の資料を見てみますと、明治6年(1873)に時の政府は各府県に対して、多くの市民が一緒に楽しめるところを公園に定めたいから、適当な場所を申し出るよう通達しています。この通達にもとづいて各地から申請がなされて、津市の偕楽公園は早くも明治10年に指定され、その後、明治14年に松阪公園、明治19年には上野公園といったように指定がなされています。
 公園は人々に憩いの場を提供しただけでなく、文明開化を求める当時の人々に、博覧会の会場を提供したことも忘れることはできません。当時の博覧会は、新しい知識をあたえ、新しい産業の実態を見せる唯一の催しものだったのです。
 広いスペースをもっている公園は博覧会の会場として恰好の場所でした。偕楽公園では、早くも明治11年に県内物産博覧会が開かれ、三重県の歴史の上に大きな足跡を残しました。博覧会は、9月1日から10月15日まで開かれ本館(第一館)のほか、済々館・農業館(第二館)・機械館(第三館)が設けられ、農工鉱産物から書画骨董品類まで10,171点が展示されました。この観客数は約71,000人に及んだようです。

(昭和62年5月 井上 壽)

偕楽公園の一角(平成元年12月撮影)

偕楽公園の一角(平成元年12月撮影)

明治11年 県内物産博覧会々場図(「各府県博覧会書類」より)

明治11年 県内物産博覧会々場図(「各府県博覧会書類」より)

参考文献

『三重県史』資料編 近代3(産業・経済) 昭和63年

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