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議論伯仲した三重県の農地改革


 ゴールデンウイークが近づいています。行楽の一方、農家にとっては田植え作業の忙しい時期でもあります。
 平成2年の統計書では、三重県の農家数は兼業を含め約8万戸と全戸数の15パーセント足らずですが、終戦直後は半数に近い世帯が農業をしており、新しい時代への期待として、農家は自作農地を持つことを願っていました。そして、当時日本を占領していたGHQ(連合国最高司令官総司令部)の主導のもとに、いわゆる農地改革が実施されたのです。農地改革は全国的に行われたというものの、地域によってその状況は違っており、今日は、三重県の農地改革について、その一端をお話しましょう。
 まず、農地改革の対象となった小作地ですが、不在地主の全小作地以外は各都道府県ごとに所有できる小作地の面積が異なっていました。三重県では在村地主の0.7ヘクタールを超える小作地又は自作農地との合計が2.2 ヘクタールを超える小作地が強制買収の対象となり、この決定をめぐっても県農地委員会で熱心な論議がありました。昭和22年(1947)6月3日の第五回県農地委員会で、午前中にいったん国の中央農地委員会が示した0.8ヘクタールと2.4ヘクタールの案のとおり採択しながら、午後になって、この案では農地改革の趣旨とは相当開きがあるとして再審議を求める声が出て、一層制限を強めた面積となったようです。
 また、農地改革で中心的役割を果たした農地委員は、農地の調査や買収・売渡し、登記などで多忙をきわめていました。県が発行した『農地改革のあゆみ』には、小作代表として選出された農地委員の麦を「お前が会議をしている日数だけは俺達が手伝うからしっかりやってくれ」と仲間の小作人たちが夜のうちに刈り取り、「天狗さんがやったんだろう」とまことしやかに言ったという逸話が収録されています。この話からも当時の農地委員の多忙さと農家の農地改革への熱い期待をうかがうことができます。
 なお、三重県の農地改革は見込みを上回るほど順調に進み、三重県全体で23,857ヘクタールの農地が零細農家に売り渡されました。昭和22年9月6日に県下最初の売渡し令書授与式が行われ、翌日の新聞には、これまで耕作してきた小作地が自作農地となった農家の「晴々しました」という喜びの声が掲載されています。
 こうした農地改革も、その後、半世紀近い歳月が経っていますが、農作業姿に当時の農家の熱い気持ちをしのんでみたいものです。

(平成5年4月 吉村利男)

『農地委員会議事録』(多気町蔵)

『農地委員会議事録』(多気町蔵)

『伊勢新聞』(昭和22年9月7日付け)

『伊勢新聞』(昭和22年9月7日付け)

参考文献

三重県農地部『三重県農地委員会議事録』第1号 昭和23年
三重県農地部『農地改革の歩み』昭和23年

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