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県下初の津市上水道とその普及


 今年は、三重県で初めての近代的な水道設備として、津市の上水道給水が開始されてから61年になります。昭和4年(1929)2月14日、水道工事の最後を飾るイベントとして当時の県会議場で行われた通水式には 700人もの人々が出席しました。アトラクションとして、岩田川には鯨、塔世川(安濃川)には鶴亀を形どった噴水が浮かべられ、河原では花角力(はなずもう)が行われ、また、昼夜なく花火も打ち上げられるなど、通水式は盛大に行われたようです。
 水道工事は、雲出川支流の長野川を水源とし、貯水地・浄水場を備えた本格的なもので、総経費約4,508 万円の巨費と、のべ44万人の人々、そして三か年の年月を費やし完成しました。材料の運搬は牛・馬車だったといいますから、相当の重労働であったことがうかがわれます。津市にとっても、空前の大事業であり、また我が国においても当時これだけの大規模なダム工事は少なく、注目を浴びたということです。
 津市で最初に水道敷設の声があがったのは大正2年(1913)でした。当時は第一次世界大戦の始まったころで、工業の著しい発展により都市の人口が急増し、都会の生活環境の改善が問題になっていました。生活全般の改善、特に「文化生活」という言葉が流行していました。
 しかし、工事の着手までには、多くの人々の努力と様々な困難があったことを忘れることはできません。水源や潅漑水をめぐって地元の村々からの反対があったり、関東大震災のため内務省で審査中の書類が焼失したり、いろいろなことがあって、工事に着手したのは大正15年4月のことでした。
 このように、水道敷設の声があがってから約17年もの歳月を経て完成した上水道も、一般庶民にとっては、水と空気は「ただ」という考えが強く、お金を出して水を買うということには当時の社会情勢の中では抵抗があったようです。宣伝を盛んに行ったり、公園や広場に無料の水道栓を作ったり、抽選で工事費を無料にしたり、各家を回って勧誘したり、懸命に水道普及に努力したということです。
 その後、第二次大戦の爆撃による破壊・復旧を経て、今日のような水道施設ができ、現在に至っています。

(平成2年1月 小島千津子)

岩田川伏越工事(同下)

岩田川伏越工事(同下)

片田貯水池の建設工事(津市水道資料館蔵)

片田貯水池の建設工事(津市水道資料館蔵)

参考文献

『伊勢新聞』大正15年4月11日
中島繁郎「津の水道」『津市民文化』第3号 津市教育委員会 昭和51年

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