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小さな石器が語る三重の歴史


 この三重県域に、人が住み始めたのは、いつのころからでしょうか。歴史学上、その時期は先土器時代と言われており、まだ土器を作ることも知らない時代で、人々は狩猟や自然物の採集をしながら生活をしていました。もちろん、記録は残っていませんし、当時の古い人骨も確認されていませんが、そのころ使っていた石器類が、県内のいくつかの遺跡から発見されています。
 それはナイフ形石器と呼ばれるもので、考古学的な研究から、約一万数千年前の石器だと考えられています。このナイフ形石器は2〜3センチの小型の石器で、その名のとおり刃と背の部分があり、刃は直線的に鋭く仕上げられています。県内では、約80個所から、ナイフ形石器が見つかっており、かなりの人間が、この三重県域に住んでいたことが考えられます。
 地域的には、四日市市の南西部や鈴鹿川北岸の台地、櫛田川と宮川に挟まれた台地、志摩半島の英虞湾に面した台地の先端部に多く集中してみられます。私たちの祖先は、こうした見晴らしの良い場所に住み始めたようです。しかし、それらの遺跡から発見される石器類は、一部の遺跡を除いてごく少量で、人々は長期間その場所に住むのではなく、獲物や自然物を追って転々と移動生活をしていたことがうかがえます。
 また、これらの石器類は、一般的に「チャート」と呼ばれる石英質の、硬く光沢のある石材が多く使われています。玉城町のカリコ遺跡や大台町出張遺跡からは、この時期の遺跡としては、珍しいほど多くのナイフ形石器や石器を作る石材片が出土していますが、その大半は「チャート」製です。この「チャート」は、三重県の場合、どこでも容易に入手することができ、材質も硬くて石器には適していたのでしょうが、時代も進んできますと、「チャート」に代わって、「サヌカイト」と呼ばれる黒色をした石材が多く使われるようになり、縄文時代の石器は、ほとんどが「サヌカイト」で作られています。
 この「サヌカイト」は、現在の奈良県と大阪府の県境にある二上山から産出される石材で、最近の調査では、ナイフ形石器を出土する遺跡80カ所のうち10カ所で「サヌカイト」製のものが確認されており、当時の人々の交易や文化の交流を考える上で、重要な遺物となっています。畑や山地の土砂中に散在する小さな石器が、歴史を語るのです。

(平成元年6月 吉村利男)

出張遺跡A地区出土のナイフ型石器

出張遺跡A地区出土のナイフ型石器

参考文献

奥義次「三重県の先土器時代関連遺跡地名表」『上地山遺跡発掘調査報告書』玉城町教育委員会 昭和60年
奥義次「三重県の遺跡」『日本の旧石器文化』第3巻 昭和51年
『四日市市史』第2巻(史料編 考古一) 昭和63年
大台町出張遺跡調査会『出張遺跡調査報告書』昭和54年

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