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66 三重海軍航空隊


Q 戦後五十年の今年、読者の体験談を募集しています。その中に「三重海軍航空隊」が登場しますが、それはどこにあったのですか。どんな規模で、どれくらいの人がいたのか、わかることを教えてください。

(平成七年八月 県外報道機関)
A 第二次世界大戦中には、三重県内にも数多くの軍事施設がありました。一志郡久居町の歩兵第三十三聨隊兵営をはじめとし、主要なものとして、四日市の第二海軍燃料厰や鈴鹿海軍工厰・津海軍工厰、さらに、鈴鹿海軍航空基地(航空隊)・三重海軍航空隊・明野陸軍飛行学校(度会郡小俣町)などがあり、三重海軍航空隊は一志郡香良洲町に置かれていました。
 この三重海軍航空隊は、昭和十七年八月、海軍飛行予科練習生(予科練)教育隊として開隊されたもので、香良洲に航空隊が設置されたのは、鈴鹿と明野のちょうど中間に位置し、雲出川の三角州という立地条件も好都合であったようです。
 香良洲町の面積のおよそ三分の一に当たる一・三平方キロメートルを占有した施設であり、最盛期には一五、〇〇〇人以上の予科練習生が在隊し、香良洲の町は若い活気に満ちあふれたようです。
 戦争、特に航空決戦が激しくなり、航空要員を養成するため設置されたものだけに、当初は「香良洲航空隊」の名称で建設が進められたのが、カラスでは勇ましさに欠けるのか、開隊のときには「三重海軍航空隊」と改称されていたということです。
 現在、航空隊跡地にある若桜福祉会館には、当時の施設模型が展示されていますが、伊勢湾に面した広大な敷地内の北側に兵舎・庁舎のほか体育場・図書庫・病舎など多くの建物が建てられ、南側には練兵場(のちの飛行場)や射撃練習場が配置されていました。
 予科練習生たちの日課は、夏五時、冬六時起床で始まり、精神教育、体育、航海・航空術、通信術、機関術、砲術、さらには、国語・漢文、歴史・地理などの訓練や教育が繰り返し行われました。修業年限も甲・乙・丙種それぞれ異なり、当初は二年六ケ月〜六ケ月と様々でした。
 十八年以降、航空要員の大量採用に伴い、三重航空隊も奈良・西宮・滋賀・高野山に順次分遣隊(のち独立した航空隊)を設置し、また、予科練習生の倉敷航空隊への疎開や本土決戦に備えての特攻基地の計画地への派遣なども行われました。そして、二十年八月十五日の終戦とともに解隊されることになり、三重航空隊は終わりを告げたのです。

参考文献

「特編 三重海軍航空隊史」『香良洲町史』 平成五年

三重海軍航空隊跡

三重海軍航空隊跡

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