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62 熊野川の呼び名


Q 奈良・三重・和歌山の県境を流れ、熊野灘に注ぐ熊野川は、「新宮川」と言われていますが、歴史的にはどのように呼ばれてきたのですか。

(平成九年十二月 行政機関)
A 熊野川は、江戸時代の『熊野参詣記』によると「岩田川、畿田川、音無川の三流落合を巴ケ淵と云う、夫より下を熊野川という九里八丁也」とし、本宮より下流を「熊野川」と言っています。天保九年(一八三八)の『天保国絵図 紀伊国』(国立公文書館内閣文庫所蔵)によると、「新宮川」となっています。
 明治十七年(一八八四)の三重県が初めて作った『三重県管内全図』(三重県史編さん室保管)には「熊野川」と記載されていますし、『紀伊続風土記』(明治四十三年刊行)巻之六十九牟婁郡第一の「山川」の項には「那智川の東にあるを熊野川といふ、郡中第一の大河なり、源二あり、一は大和国十津川より来り一は大和国北山荘より来り、花井荘に至りて合ひて一となり、新宮に至りて海に入る(以下略)」と記されています。
 ところが、『三重県統計書(表)』によると、三重県側では明治初期から昭和前期頃まで「音無川」とし、それ以降は「新宮川」として出てきています。また、明治三十六年以降の熊野川河口の整備改修に関する一連の資料を『鵜殿村史』から見てみると、和歌山県側は「新宮川」とし、三重県側は「音無川」としていますが、昭和六年の資料では「新宮川」となっています。そして、昭和二十四年に治水並港湾改修促進同盟会から三重県・和歌山・奈良県の知事へ差し出した陳情書では、「熊野川」となっています。
 このように、熊野川は、同じ流れの川でありながらも江戸時代から様々な呼び名があったのです。
 関係法令の上からは、大正五年に和歌山県知事名で、大正六年に三重県知事名で、旧河川法準用令に基づく準用河川として「新宮川」という名称で県報に告示しています。また、昭和三年九月の内務省告示には、旧河川法による河川認定として「新宮川」という名前で認定されています。そして、昭和三十九年に制定された新河川法に基づく一級河川を指定する政令により、昭和四十五年三月、一級河川「新宮川」として指定されています。どうも、法的には「新宮川」の呼称が使われているようです。したがって、建設省国土地理院の地形図でも、昭和四十五年以前は「熊野川」としていたのを、以後は十津川を含めて「新宮川」と表記しています。
 しかし、地域の人たちは、依然と親しみを込めて「熊野川」と呼んできました。そのため、昭和五十五年頃から地域の自治体などが中心になって、この川の名称変更を要望する運動が起こってきました。流域の一五市町村や県が一体となって、河川を管理する建設省に要望も行い、建設省の河川審議会は、「新宮川」の名称変更を答申しました。そして、この平成十年四月から「熊野川」と呼ばれることになるそうで、地域の人たちの願いがかなったのです。

参考文献

『鵜殿村史』通史編 平成四年
『三重県史』別編(絵図・地図) 平成六年

「三重県管内全図」より

「三重県管内全図」より

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