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61 尾鷲遂道の今昔


Q 現在、海山町と尾鷲市の境には、JR紀勢線の尾鷲トンネルと国道四二号線の尾鷲トンネルの二本が開通し利用されていますが、現在は通行止めとなっている旧国道四二号線の尾鷲遂道について教えてください。

(平成七年十月 県内個人)
A 旧国道四二号線は、熊野街道がその前身です。その熊野街道は、明治二十一年(一八八八)仮定県道として車道(荷車・牛馬車・人力車が通行できる)に改修されましたが、トンネル技術が未発達のため、勾配のきつい馬越峠をさけて天倉山半島を一周する全線トンネルのない迂回道路でした。
 そのため、迂回路の短縮とカ─ブ・勾配の軽減を目的とした再改修の必要性から熊野街道改修促進運動が展開された結果、明治三十九年に県会において熊野街道改修案が議決され、四十三年に長島・尾鷲間が県の直営工事として着工されました。
 この改修工事の特徴は、村と村を直線に結ぶ最短コ─スを採用したため、トンネルが多くなったことです。工事は難工箇所が多かったのですが、工事費総額三七万五千円で大正五年(一九一六)に完成しました。
 尾鷲遂道は、海山と尾鷲の境の馬越峠と便石山の間を貫通するトンネルで、明治四十四年十月に起工し、大正五年四月に竣工しました。この遂道は、延長約四八三メートル、高さ四・五メートル、幅員四・二メートルで、当時のこの地方では最長のものでした。遂道内は、赤煉瓦積み(一部素掘)で覆工され、五〇メ−トルごとに石油ランプが設置され、坑門も赤煉瓦積みでア─チ環は楯状の迫り石で装飾されています。
 この遂道開通により同年十月、長野幹知事が初巡視とこの道路の視察をかねて尾鷲入りしたとき、沿道各町村の学校児童たちは「大正五年の秋なかば、のぼる朝日の空高く、熊野は今や開けたり・・・」と歌って迎えたということです。かつては、陸の孤島とまで言われたこの地域が、自動車という交通手段を確保したことの喜びが伝わってくるようです。
 現在、この遂道は、アクセスする丑ノ谷橋の橋脚に亀裂が確認されたため、平成五年度から通行止めとなっていますが、現在の国道四二号線を相賀方面から来ますと現尾鷲トンネルの左手すぐ近くにこの遂道の坑門を見ることができます。

参考文献

『尾鷲市史』下 昭和四十六年
『海山町史』全 昭和五十九年
三重県教育委員会『三重県の近代化遺産』 平成八年

昭和二十九年の地形図より

昭和二十九年の地形図より

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