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59 明治二十六年三月の火災


Q 地域の歴史研究をしていますが、明治二十六年三月に現名張市の赤目地区で火災があったようです。それに関する資料はありませんか。また、同じ時期の「松阪町大火」は有名ですが、その様子も教えてください。

(平成九年三月 県内個人)
A お尋ねの明治二十六年(一八九三)三月の現名張市の火災ですが、被害調査書などの詳細な資料ついては県史編さん室にはありません。ただ、当時の『伊勢新聞』を調べてみると、三月十九日の二面最下段に「名賀郡瀧川村の火事」の記事が小さく掲載されています。
 火災は、三月十六日の早朝五時に、瀧川村大字一之井で起こりました。西風が激しく、四方に燃え移り、一六戸が焼失されるという被害となり、八時に鎮火したようです。
 それにしても、この年は火災が多く、『三重県統計書』によれば、県内で三六〇件の火災が発生しています。明治二十一年から二十五年の平均火災件数二九四件に対し大きく増加しています。また、焼失戸数は一,八九三戸と前年四八四戸の四倍近くにも達しています。
 その被害の大半は、名賀郡の火災と同じ三月の二十九日に起こった松阪町の火災です。問い合わせのとおり、「松阪町大火」と言われ、有名です。
 少し詳しく述べると、三月二十九日午後七時頃、魚町二丁目あたりから出火し、折からの烈風にあおられ、中町の松阪警察署に移り、伊勢(参宮)街道沿いの家並など町の中心部の悉くに延焼しました。そして、翌三十日の午後三時頃まで、十五時間にわたって燃え続け、大きな被害をもたらしました。同年五月十四日発行の『伊勢松阪大火実況録』の「松阪罹災地の調査表」によれば、「罹災戸数一,三一八、人員四,一五二」と報告されています。
 この大災害に対しては、県知事や県会議員等が早速松阪町に急行するとともに、県庁から白米を送るなど、県内外から多くの義捐金や救助米が寄せられました。また、現地では、火災後の片付けのほか、罹災者への焚き出し、宿舎の提供、町内医師の無料診療・施薬、教員たちの「火災緊要書類調製」などが自主的に行われ、救助と復旧が図られました。まさに、ボランティア活動が結束されたのです。

参考文献

『松阪市史』第十五巻 史料篇 昭和五十八年

「伊勢松阪大火実況録」より

「伊勢松阪大火実況録」より

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