トップページ > 運営ホームページ  > 県史Q&A > 48 明治初期の一身田博覧会

48 明治初期の一身田博覧会


Q 明治初期、一身田で博覧会が開催されたようですね。いつ開催されたのか、どこが主催したか、そのときの様子はどんなだったでしょうか。また、資料はどこにありますか。

(平成八年十月 県行政機関)
A 明治という新しい時代を迎え、三重県下でもいくつかの博覧会が開催されました。最初の博覧会は山田博覧会で、山田大世古町の元御師龍太夫邸を会場に明治六年(一八七三)三月十五日から五月十五日までの二ケ月間開催されました。度会県と神宮司庁が共催で行い、内外宮の神宝をはじめ「民間私蔵ノ珍秘其他外国ノ物品珍禽奇獣ニ至ル迄」(『伊勢山田博覧会稟告』)数千種の物品が陳列されたようです。
 奄芸郡一身田の博覧会は同じ年の八月二十日より三十日間開催の予定(のち五十日間に延長)で計画されました。主催は専修寺で、まず七月に専修寺の住職が「定(開催規定)」を添付し「博覧会願書」を県に提出しています。開催趣旨は「人民開明進歩之一端ニモ可相成」とし、「当寺旧来蔵蓄之什器并器品類」のほか、「民間蓄蔵之古器旧物其他天産人造之諸品及ヒ外国動植物新発明之諸器械ニ至迄」展示しようというものでした。
 そして、民間蓄蔵の古器などは県から布達し募集して欲しいと願い出ました(「博覧会添願書」)。先の山田博覧会では、三重県から「度会県下山田ニ博覧会開設ニ付出品方ノ件」を布達しています。しかし、一身田の博覧会については六年の布達一覧になく、県は布達しなかったようです。この博覧会開催に関して県が太政大臣に伺い出た際に「出品不好者迄強テ募集候義無之様可致事」という指示がなされており、そうした背景があって一般には布達しなかったのかもしれません。その代わりに、『三重新聞』の付録として「伊勢国一身田博覧会稟告」を県の博覧会掛の名で出しています。
 「定」によれば、博覧会は毎日午前八時開場午後四時閉場で、入場者は「通券」を必要とし、出品者には「取締」から「品物預リ証券」が渡されることとなっていました。さらに、販売する品物もあり、その価格を記し、博覧会が終わって証券と引替えられたようです。なお、「取締」役には、白子本町久住五左衛門、四日市川原町山中伝四郎、津分部町川喜田久太夫、津魚町岡嘉平次・辻彦作といった著名な商人層が当たりました。
 これらの関係資料の所在ですが、「博覧会願書」などの専修寺・県・国の公文書は国立公文書館所蔵の『公文録』に編綴されており、一部は『太政類典』にも筆写されています。また、『三重新聞』付録の「伊勢国一身田博覧会稟告」は、東京大学明治新聞雑誌文庫に保存されています。
 こうした博覧会も、明治十年代になると勧業政策という性格が強くなります。三重県でも十一年九、十月に物産博覧会、十三年四月に民設博覧会が津公園で開催され、共進会や品評会なども各地で開かれるようになりました。

参考文献

『三重県史』資料編(近代4 社会・文化) 平成三年

一身田博覧会稟告

一身田博覧会稟告

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る