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34 仏師僧・円空


Q 外国で円空の展覧会が企画されており、三重県内の作品について照会がありました。彼の略歴を含め、詳しく教えてください。

(平成九年四月 県内行政機関)
A 円空は、寛永九年(一六三二)に現在の岐阜県羽島市に生まれました。若くして出家し、仏教を学んだのち修験の道に入り、美濃・飛騨地方から東日本を中心として諸国をめぐり、遠く北海道にも足跡を残しています。
 円空は一二万体の造仏を祈願したと伝えられ、現在、大小五千体に及ぶ仏像が確認されています。その数が最も多いのが愛知県で、次いで岐阜県です。この二県が全体の約九割を占めており、円空作品のほとんどは、愛知と岐阜を中心とした中部地方に集中していると言えるでしょう。
 三重県下には、移入されたものを含めて二八体が確認されており、全国で五番目の数です。また、これに加えて絵画の作例も伝存しています。
 延宝二年(一六七四)の夏、円空は志摩地方を訪れています。したがって、県内に残る円空作品のほとんどは志摩地方に見られます。阿児町立神に伝来する大般若経の付属文書には、同年六月から八月にかけての約二ケ月間当地に滞在し、巻本を折本に改め、欠本二二帖を補足したことを記しています。円空は、大般若経補修の際に扉絵を描いており、これらは数少ない絵画作品として注目されます。釈迦如来を中心に、そのまわりを菩薩や十六善神が取り囲む、いわゆる釈迦説法図で、簡略ながらも伸びやかで生き生きとした筆づかいが感じられます。また、同様の扉絵が、志摩町片田の大般若経にも描かれています。
 志摩地方に残る仏像としては、阿児町立神・少林寺の善女龍王像や観音像、志摩町片田三蔵寺の聖観音像、磯部町の薬師堂に伝来する薬師三尊像などがあげらます。これらは、円空独自の木目やノミ痕を効果的に残したものです。
 このほか、津市下弁財町真教寺(通称閻魔堂)には像高が二mを超える十一面観音立像が安置されています。この像は、円空が奈良法隆寺での修行を終えて伊勢から志摩へと向かう途中の制作と考えられており、飛鳥仏研究の跡が認められるとする説があります。他の円空作品には見られないていねいな仕上げが施されているのが特徴で、図像上も儀軌にかなったものです。さらに、菰野町明福寺には、厚い板の両面に阿弥陀如来と薬師如来の立像を浮彫状に彫り出して一体とした「両面仏」と呼ばれる他に例のない珍しい作例が伝来しています。もと伊勢市常明寺の持仏で、明治初年の廃仏棄釈により当寺へ移したものと伝えられています。
 円空仏は、作者円空の持つ宗教的な精神性が粗削りの作風の中に見事なまでに表現されたもので、それらは現代においても高い評価を得ています。伊勢市出身の彫刻家橋本平八(一八九七〜一九三五)も円空仏から強い影響を受けたうちの一人で、その研究成果を基礎として独自の精神性を盛り込んだ個性豊かな彫刻を数多く残しています。

参考文献

『橋本平八と円空』 三重県立美術館 昭和六十年
円空学会『円空研究』1〜5 別巻1・2 人間の科学社 昭和五十一〜五十四年
辻惟雄ほか『江戸の宗教美術 日本美術全集23』 学研 昭和五十四年

薬師三尊像(上五知薬師堂)

薬師三尊像(上五知薬師堂)

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