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12 星合氏の概略


Q 現在の一志郡三雲町星合に居を構えていたという北畠家の一族の星合氏についてを知りたいのですが、その概略でも結構ですので、わかりませんでしょうか。

(平成八年九月 県内個人)
A 星合氏の系図の刊本としては、『寛政重修諸家譜』や『続群書類従』、さらに『系図纂要』などに掲載されています。それらによると、伊勢国司北畠政郷の三男頼房が、永正年間(一五〇四〜二一)に一志郡の星合に城を構えて居住し、星合と称したのが始まりとされています。そして、大永六年(一五二六)に頼房が大河内城に移った後、頼房の次男の具種が二代目の星合氏となったとされています。しかし、これらの系図には大きな間違いがあります。
 まず、初代とされる大河内頼房は、『公卿補任』記載の年齢から逆算すると永正七年(一五一〇)頃の生まれとなります。これは政郷の死後です。また、星合城築城の件も、彼が十歳そこそこのことになり、やはり不自然でしょう。彼は大永元年(一五二一)に従五位下侍従に任じられ(『歴名土代』)、正三位権中納言にまで昇っています。官位の高さから国司家につながる可能性は高く、国司晴具の二歳年下という年齢から見て、北畠具方(親材)の子供と考えられます。また実名も、初め親泰、次いで秀長と名乗り、やがて頼房と改めていますが、星合氏を名乗ったという事実は不明です。
 次に二代目とされる具種ですが、『公卿補任』によると、彼は、初め具房、次いで具種と名乗り、やがて具祐と改めた人物に当たります。彼もまた、頼房の子ではなく北畠具方の子供で、星合氏ではなく坂内氏を継いでいます。
 以上のように、信頼できる史料からは、現在のところ星合氏が北畠氏の一族であるということを明らかにできないのが現状です。ただ、現在の勢和村丹生の暦司であった賀茂杉太夫関係の文書、「賀茂文書」中に、天文三年(一五三五)付けの星合左衛門尉直藤の書状があります。彼は北畠氏の奉行人であったと考えられますが、現在確認できる星合氏は彼のみとなっています。

参考文献

『続群書類従』第五輯下 続群書類従完成会 昭和三十五年
新訂『寛政重修諸家譜』第八 続群書類従完成会 昭和四十年

北畠氏略系図

北畠氏略系図

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