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南島町 ひめごやまにねむるおうごんせんりょう
姫越山に眠る黄金千両
全国に散らばる埋蔵金伝説の一つが、南島町に伝えられています。
黄金千両を埋めたというこの伝説は、
山で倒れた姫と後を追った老武士の悲しいお話でもあるのです。

お話を聞く

 物語をはじめる前には南島町にはこんな歌が残っておるそうな。
 「朝日さし、夕日直刺(たださ)す、つつじの下に、黄金千両、後の世のため。
 朝日さし、夕日直刺す、つつじの下に、黄金千両、後の世のため」
 
 むかしむかし、南島町の西の端(はし)、新桑竈(さらくわがま)という村の西側に高さ五〇三メートルの姫越(ひめご)山と呼(よ)ばれる山があってな、このあたりでは朝日を真っ先に迎(むか)える山で、また夕日を遅くまで受けて輝(かがや)いている山でもあったそうな。
 さて、この山の頂(いただき)近くにはつつじの木があって、その根元にはなんと千両の黄金が眠(ねむ)っとることを、物語の初めに紹介(しょうかい)した歌は歌っておるんやと。
 たしか、昭和の初めごろの話や。この歌を手がかりにこの山のつつじというつつじは、残らず根こそぎ掘(ほ)り返されたこともあるそうや。
用語説明
朝日さし 夕日直刺す
日本全国に残る埋蔵金伝説(まいぞうきんでんせつ)に出てくる黄金のありかを示す歌のほとんどは朝日と夕日のさす場所を示している。

新桑竈(さらくわがま)
南島町の地名。
全国各地に伝えられる「平家落人伝説(へいけおちうどでんせつ)」。その伝説のひとつが南島町にも存在(そんざい)する。町内には『竈(かま)』の字がつく『八ヶ竈』と呼(よ)ばれる集落があり、平家の子孫がひらいたと言われている。落人の人々は、ここで塩焼き竈を築いて製塩業を行い、生計をたてていた。


姫越山(ひめごやま)
紀勢町と南島町の境にある芦浜(あしはま)の真上に位置する、標高503メートルの山。



 この歌にはまた別の話も伝えられとるんや。
 そのむかし、この姫越山の山道を年老いた武士を供(とも)にしたがえた、わけありそうなお姫(ひめ)様が息をきらしながら登って来られたそうな。
 なれない旅で、しかもそれは戦(いくさ)に敗れて命からがら逃(に)げて来られたようすでな、姫は疲れ果て、この峠(とうげ)までやっとのことでたどり着き、もう一歩も動けんかった。
 顔はやつれ、髪(かみ)の毛も着物も乱(みだ)れ、かよわい体は今にもたおれそうで、それこそあわれでみじめな姿(すがた)であったそうな。
 気の毒に思った供の年老いた武士は
「せめて飲み水でも」
と谷に下り、竹筒(たけづつ)に水を入れて急いでもどってみると、なんと姫はすでに息絶えておったそうや。
   



   
 途方(とほう)にくれた老武士も、もはやこれまでと、ここまで片時も身からはなさずたずさえてきた軍用金を土中深くに埋(う)めると、姫の後を追ってしまったんや。
 この姫君は平家ゆかりの一族のお方やとも、姫越(ひめご)に近い「芦浜(あしはま)」の樋口次郎(ひぐちじろう)の娘やとも伝えられておる。
 いつかもう一度と、再起を願って軍用金を埋めたというたぐいの話は、黄金埋蔵(おうごんまいぞう)伝説として全国各地に数多く散らばっとって、ていねいに歌まで似通(にかよ)っとる。
 「朝日さし、夕日かがやくもろ木の下に、うるし千盃(せんぱい)、朱千盃(しゅせんぱい)」
 などと歌われている歌も同じたぐいのものや。
 埋蔵物語の話と言えば、武田信玄(たけだしんげん)や小栗上野介(おぐりこうづけのすけ)の埋蔵金(まいぞうきん)の話とか、欲深い話が多いけどな、この話は南島町の西の端にふさわしく、まことにほほえましい物語として残っておるんや。
 
樋口次郎(ひぐちじろう)
木曽義仲(きそよしなか)の四天王の一人。

武田信玄(たけだしんげん)
戦国時代の大名。

小栗上野介(おぐりこうづけのすけ)
小栗忠順(おぐりただまさ)。幕末期(ばくまつき)の政治家・旗本(はたもと)。



読み手:下社 秋子さん


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