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南勢町 ごかしょうらのうしおにでんせつ
五ケ所浦の牛鬼伝説
五ヶ所浦に伝わる、不思議な牛鬼のお話です。
ある時、殿様が牛鬼を弓で射てしまったことから、たいへんな事件が起きてしまいました。

お話を聞く

 むかしむかしのことやけど、五ヶ所浦(ごかしょうら)の切間(きりま)の谷にひとつのほらあながあってな、ここに牛鬼(うしおに)という変わったものがすんでおったんや。
 牛鬼いうのは、古い本には、毎月、牛一匹を食う鬼(おに)やったと書かれておるんやが、首から上は牛の頭で、人間のようにものを言い、一日に千里も走る神通力(じんつうりき)を持った強い鬼やったとも言われとるな。
 この牛鬼はよく西山に出てきて、五ヶ所城の殿(との)さんやった愛洲重明公(あいすしげあきこう)が弓(ゆみ)の稽古(けいこ)をするのをながめておったそうや。重明公は弓自慢(ゆみじまん)やったんやが、ある日のこと、どうしたことか重明公の射た矢(や)が牛鬼に当ってしもてな、矢が胸元(むなもと)に突(つ)き立ったもんで、牛鬼は下の畑へ真っさかさまにころげ落ちてしもたということや。
用語説明

五ケ所城
五ヶ所浦北東の小高い山にあり、愛洲城(あいすじょう)ともいう。東と南はL字形に続く二重(にじゅう)の深い堀(ほり)と土塁(どるい)に囲まれている。

愛洲重明公(あいすしげあきこう)
五ヶ所城の殿様、最後の城主と言われる。

愛洲の館




 この時、牛鬼はものすごい声をあげてな、その上、真っ黒な煙(けむり)がもうもうと立ちのぼったのやて。その煙にまかれた重明公の奥方(おくがた)さんは重い病気になったそうな。養生(ようじょう)のために親元の北畠(きたばたけ)の家へ戻されることになってしもた。
「お願いでございます。どうかここに置いてくださりませ」
と、奥方は言うたんやが、重明公は、
「いやいや、潮風(しおかぜ)は病にさわる。親元で休むがよい」
と言うて奥方を帰してしもて、あとから離縁(りえん)を申(もう)し送られたんや。かわいそうに、病気の上に離縁された奥方は、嘆(なげ)き悲しんで自害(じがい)してしまわれたんやて。
 むかしのことやもんで、ようわからんけど、別の話では、重明公が病気の奥方に嫌気がさして京都からきた白拍子(しらびょうし)と仲良(なかよ)うなってしもたもんで、奥方が世をはかなんで自害(じがい)されたんやとも言われとるな。
 

北畠氏(きたばたけし)
中世朝廷にあって政治上重きをなした公家(くげ)の家。

白拍子
中世の踊り子

自害
自殺




   
 ともかく、こんなことになってしもたもんやから、
「病の娘に、なんという仕打ちをするんや。このような非道(ひどう)を許すわけにはいかん」
と、北畠家は怒(おこ)ってな、軍(ぐん)を起こして戦(いくさ)をしかけたんや。北畠いうのは、そのころ強い力を持っておった家でな、責められた愛洲(あいす)一族は、それに勝つことはできんだでな、とうとう滅(ほろ)んでしもたんさ。
 ところで、殿様に射られた牛鬼というのは、もともと五ヶ所城の主(あるじ)やったとも言われておってな、矢に射られて死ぬ時に、
「わしを助けておけば、この城は末長く繁昌(はんじょう)するものを」
と言い残したそうな。
 西山の下の『ウシマロビ』という所は、この牛鬼のころげ落ちた所やと言われとってなあ、牛鬼がすんでおった穴の近くにはある岩は、戸棚(とだな)のような形をしておるんで、誰(だれ)言うとなく、牛鬼が武器(ぶき)を隠(かく)した道具部屋やと呼ぶようになってな、このあたりの木を切ると災(わざわ)いがあると伝わっておるんさ。
   



読み手:川口 祐二さん