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阿児町 よこやまのはちだいりゅうおう
横山の八大竜王
横山の途中に今も残る三つの石。
もとは海の中にあったというこの石は、なぜ高い山の上に祀られているのでしょうか。
海の神様のお話です。

お話を聞く

 横山の第二展望台(てんぼうだい)へ登る途中(とちゅう)に、しめなわを張(は)った三つの石が祀(まつ)ってあるそうな。
 この石は、むかし鵜方浦(うがたうら)の入り口にあたる長原(なごら)の海に沈(しず)んどって、潮(しお)がひくと頭が見えることから、鵜方の人たちは
「なごらの浮岩(うきいわ)」
と呼(よ)んでおった。
 この浮岩は、むかしから漁師(りょうし)たちにたいへん恐(おそ)れられておってな、この岩に舟(ふね)の「ろ」があたるとたたりがあると言われとって、ここを通る舟はいつも岩をさけて通っておったんやそうな。
 むかし、越賀(こしか)の漁師権太夫(ごんだゆう)ら五人が青峰山(あおのみねさん)へお参りするのに鵜方浜(うがたはま)へ舟でやってきたんやと。無事に参拝(さんぱい)が終わって鵜方浜から帰り舟に乗り、「なごらの浮岩」のところへきたところ、「ろ」があやまって岩にあたってしまい、権太夫はまもなく、ぽっくりと死んでしまいおった。
用語説明
長原(なごら)
阿児町鵜方(うがた)地区の字、ながはら、ながら。

越賀(こしか)
志摩町にある地名。

青峯山(あおのみねさん)
海の安全を見守る仏様として全国の漁師や船乗りの信仰(しんこう)が厚い寺として知られる、青峯山正福寺(あおのみねさんしょうふくじ)がある。



 そのころ、木次郎、さわという夫婦(ふうふ)が船越(ふなこし)から鵜方にこしてきてな。木次郎はかつお釣(つ)りのえさを売る商人(あきんど)で、さわは海女(あま)で二人仲良(なかよ)う暮(く)らしておった。
 木次郎は毎日、浜島(はまじま)や宿田曽(しゅくたそ)へ商売に出かけておってな、ある日、浜島へ向かう途中、ふだんは見えない「なごらの浮岩」が波の上に浮いているのを見て不思議(ふしぎ)に思った木次郎は、このことを家(うち)に帰って妻(つま)のさわに話したそうな。
 その夜、さわの夢の中に浮岩があらわれて
「わしらは、なごらの竜神石(りゅうじんいし)じゃ、早く陸(りく)へあげて祀(まつ)ってほしい」
と告(つ)げたそうな。その夢のお告げをさわは木次郎に話しおった。
 木次郎は
「これはたいへんなことじゃ、一人や二人ではあの石はあがらんぞ」
と思い、近所の人たちに頼み、手伝ってもらって石をあげることにしたそうな。
 
船越(ふなこし)
大王町や南勢町にある地名。

宿田曽(しゅくたそ)
南勢町の宿浦(しゅくうら)、田曽浦(たそうら)地区。



   
 いよいよ、竜神石を海からあげるのに都合(つごう)のよい大潮(おおしお)の干潮(かんちょう)の日がきたので、木次郎夫婦らと村人が舟に乗り、石を引きあげようとしたんやけど重くてなかなかあがらんかった。そこで、海女(あま)であったさわが海の中に入り、綱(あみ)を掛(か)け、やっとの思いで三つの石を引きあげ、木次郎の家のうらの山の一角へお祀りすることになったんやそうな。
 その石をお祀りしたあと、さわの夢の中にまた竜神石が現われ、
「わしら三つの石は、もともと横山の神の使いであるから横山に祀ってほしい」
と言われたんや。
 木次郎とさわはさっそく横山の中ほどで鵜方浦がよく見える小さな広場を見つけ、そこに竜神石を祀ることにしたそうな。
 それからは、鵜方浦のたたり石がなくなり、八大竜王(はちだいりゅうおう)が横山の上から舟の安全をまもってくれておってな、大きな船でも自由に通ることができるようになったんやそうな。
 
横山展望台からの眺望



読み手:深津 志津子さん