ホームへ
北勢地域

伊賀地域

中勢地域

伊勢志摩地域

東紀州地域

ジャンルで選ぶ
熊野市 ありまうらのいなほ
有馬浦のいな穂
熊野市は、古い歴史の地です。
花の窟がある有馬町には、イザナギノミコトとともに国や神々を生んだとされる
イザナミノミコトが、稲を見つけたというお話が伝わっています。

お話を聞く

 むかしむかし、イザナミノミコトが七里御浜(しちりみはま)の大なぎさに出て、魚つりをされとった。
 もう昼近くになったのに、ワカナの子一匹(いっぴき)もつれんでな。
(つまらんなあ)
 そう思いながら、ミコトがじーっとつり糸をながめとると、何か青あおとしたものが波にゆられながら流れてきよった。
 なにげのう、さおの先でひろいあげてみるとな、それはハマユウの葉で大事そうに、いくえにもていねいに包みこんであった。
(何じゃろう)
 そう思ってハマユウの葉を一枚一枚広げて開けると、中には黄金色のつぶつぶの実がたくさんついた、見たこともないめずらしい草の穂が入っとったんじゃ。
「何という草じゃろう」
と、興味をもったミコトが、バラバラと手のひらにその実を落としてみると、一つぶ一つぶが陽の光にかがやいて、はちきれそうによう実っとった。
「これは、きっと食べられるものにちがいない」
 ミコトはさっそく三つぶ四つぶ口に入れてかんでみたんやて。
 すると、どうじゃろう。小さいときに母神にだかれて飲んだ乳のような甘い味がする。
 あまりのおいしさに、また三つぶ四つぶとつまんでいるうちに、いつのまにかお腹(なか)がいっぱいになって、急にからだじゅうに元気がみなぎるような気がしたんじゃ。

用語説明
イザナミノミコト
日本神話で、夫のイザナギノミコトとともに日本の国土や神々を生んだ女神。


七里御浜
熊野市から鵜殿村まで約24キロも続く広大な海浜(かいひん)。





「これはありがたい。いのちがよみがえる種じゃ。もし、この種をまいて育ててみたら、みんながどんなに助かることじゃろう」
 そう思ったミコトは、急いで家へ帰ったんやて。そしてその種を、有馬の大池のなぎさ一面にばらまいたそうな。
 春がきた。
 野山の草木がいっせいに新しい芽を出して、美しくかがやいとる。その緑をながめながら、ミコトもいつにも増して気分のよい日々を過ごしとった。
 そんなある日、ミコトがふと大池のなぎさに行ってみると、すがすがしい若緑(わかみどり)のめずらしい草があたり一面にめばえとったんじゃ。
「おお、そうじゃ。これは、あのときまいた『いのちのたね』の草じゃ。いねの苗じゃ」
 イザナミノミコトは、声を上げながら、初めて見たあの美しい種の色や、おいしかった乳のような味を思いうかべて、両手でなんどもなんどもいねの苗をなでてみたそうな。
 それからは、毎日のように水をやったり、じゃまな草を引いたり、悪い虫をとったりして、大事に大事に育てたんじゃ。
 
有馬の大池のなぎさ
熊野市有馬町の山崎沼あたりと言われている。



   
 やがて有馬の大野のあちこちにもえたつような穂が出て、花が咲いたんやて。
 そして、いつの間にか夏も過ぎ、トンボがすいすいと飛びまわる秋になった。大池のなぎさはいねの穂がそよいで、黄金の波がかがやいとった。
 それからというもの、人々は飢(う)える心配もなくなり、毎年、秋には、花の幡(はた)をたてて、笛に鼓(つづみ)に歌い舞う大まつりが行われるようになったんじゃ。
 これが有馬の米づくりのはじまりでな。米づくりは、ここから日本国中に広まったそうじゃ。


 
花の窟(いわや)神社大祭
イザナミノミコトの墓所(ぼしょ)と伝わる、高さ45メートルの巨岩(ご神体)から、季節の花を結わえた160メートルの綱(つな)を海岸へ張りわたし、豊穣(ほうじょう)を祈(いの)るまつり。

読み手:花尻 薫さん