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朝日町 はちおうじまつり
八王子祭り
毎年八月十三日に行われる八王子まつりは、
火をつけた松明で体をたたき合う勇壮な火のまつり。
昔はこんな風に祭りをやっていたんだよ……祭りの昔の姿をご紹介します。

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 小向(おぶけ)は、もとは東海道に沿(そ)って開かれた村でな。むかしは、街道(かいどう)から離れると家並(いえな)みもなくなり、水田や畑(はた)ばかりが広がるのどかな村やった。
 村人たちが大切にお参りしとる氏神(うじがみ)神社が、小向神社や。この神社では、男衆(おとこしゅう)がふんどし一丁(いっちょう)のはだかになって、火をつけたたいまつを叩きつけあう八王子祭りが行われとってな、「たいまつ祭り」とも「はだか祭り」とも呼ばれて、周辺から見に来る人もようけおった。
 祭りの起こりは、江戸(えど)時代の享保(きょうほう)のころ、ちょうど今から二百九十年ほど昔のことであった。当時、小向で疫病(えきびょう)が流行(はや)ってな。困った村人がその疫病神の退散(たいさん)を八王子の神に祈り、わらをたばねたたいまつに火をつけて叩きあったら、疫病がたちまちにおさまったんや。八王子の神というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔鳴尊(すさのおのみこと)の子どもにあたる五男三女の神様で、王子になって現れると伝えられとった。
 それ以来、毎年八月十三日には八王子祭りとして、たいまつによる虫送りもかねた病魔(びょうま)はらいの火の祭りを続けとんや。
用語説明
小向
朝日町小向

八王子祭り

享保(きょうほう)
1716年6月22日〜1736年4月27日。江戸時代



 むかしは、この日になると村の大人も子どもも、それぞれのたいまつを作って、神社へ参拝(さんぱい)する途中(とちゅう)の田の畦(あぜ)に用意し、祭りの時を首を長くして待っとったんや。
 夏の陽(ひ)が鈴鹿の山に沈(しず)むころ、青年団の若者(わかもの)が中心になって、直径(ちょっけい)一メートルもあり、長さは二メートルもある大太鼓(たいこ)と鐘(かね)二個を山車(だし)にくくりつけてな、
 ドンカン、ドンカン
と打ち鳴らしながら、小向の村を東海道に沿って北街道、中街道、南街道の順に練り歩き、神社の参道へと進むんや。
   



   
 提灯(ちょうちん)を持った氏子総代(うじこそうだい)や役員らが先導(せんどう)する一行が神社の参道にさしかかると、待っとった村人はいっせいにたいまつに火をつけて、そのたいまつを持つ大人や子どもを先頭に、小向神社の境内(けいだい)を通りぬけて名谷山(めんたにやま)へのぼっていくんや。山道を火の粉を散らしながらのぼり、その後から大太鼓や鐘も音をひびかせながら続いていってな。
 山頂(さんちょう)には、なま木や竹、わらを積み上げた高さ五メートルほどもある大どんどが用意されとって、一行が山頂近くの平地に着くと、その大どんどに火がつけられ、威勢(いせい)よく燃(も)え上がるのを見上げながら、鐘や大太鼓を打ち鳴らすのや。 火が燃え尽(つ)きると、一行は神社の境内に下山してな。男衆は青年組と壮年(そうねん)組に分かれてふんどし一丁のはだかになり、水をかぶって両手に火をつけたたいまつを持ち、叩きあいをするんや。
 火の叩きあいは、たいまつを補給(ほきゅう)する役やはだかの男に水をかける介添(かいぞ)え役もついて盛大(せいだい)に行われてな。火の粉や歓声(かんせい)が飛びかうなか、盛(も)り上がりも最高潮(さいこうちょう)に達すると、今度は境内のどんどに勝ち組によって火がつけられる。鐘や大太鼓も打ち鳴らされ、勢いよく燃えあがる火が落ちるとともに祭りが終わるのや。
 戦前に一度この祭りを中止したら、伝染病が流行ってな。それから、毎年欠かさんと続けとるんや。今は名谷山でどんどを焼かんようになって、神社の境内で焼くだけになっとるけど、小向では子どもから大人まで大勢がこの祭りを楽しみに、受け継(つ)いでおるんや。
 
氏子総代
同じ氏神を祀(まつ)る人びとから選ばれ、神社の維持(いじ)に力を尽くす者。

どんど
かがり火。



読み手:服部 金一さん