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美里村 えんめいじぞう
延命地蔵
今も五百野に祀られている「延命地蔵」。
第二次世界大戦で出征した村の若者を守ったこのお地蔵さんは、
むかしむかし、江戸で作られ美里村に来たそうです。

お話を聞く

 五百野(いおの)の下ノ郷(しものごう)というところに、「延命地蔵(えんめいじぞう)」というお地蔵(じぞう)さんが祀られておる。
 このお地蔵さんはなあ、今から百三十年よりもっと昔に江戸の牛込(うしごめ)っちゅうところで作られたそうな。お地蔵さんはな、江戸からはるばる津の港まで船で、港からは外山(とやま)の人らが荷車でえっさえっさとお運びしたんやと。
 ところがなあ、お地蔵さんがあんまり重いもんで、途中(とちゅう)で荷車がこわれてしもうた。
 さてどうしたものかと困ったあげくにな、みなで代わる代わる背負(せお)っていくことにしたんやが、荷車がこわれるくらいやもの、だれ一人背負える者がおらへん。
「びくともせえへん」
「こんな重いものとても無理や」
「腰(こし)がぬけてしまうわい」
と、みんな音(ね)を上げて、とうとう最後の一人、池村久八(いけむらひさはち)いう人の番になったんや。
用語説明
五百野の下ノ郷
美里村五百野。下ノ郷は五百野の小字

牛込
東京都新宿区牛込

外山
美里村五百野小字



 すると不思議やなあ、だれも背負えんかった地蔵さんを、ひょーいと背負えるやないか。
「久八どん、よいしょよいしょ」
「あともう少しや、そーれそれ」
 久八は、みなにはげまされて、汗(あせ)だくだくになりながら、ようよう吹上(ふきあげ)までたどりついてな、坂の上の山にお地蔵さんをおまつりしたんや。
 
吹上
美里村五百野の小字



   
 それからというもの、外山の人がお地蔵さんのおもりをしておったんやが、おまつりにはたくさんの人を呼(よ)んでごちそうしたりしておったんで、とうとうおもりをしきれんようになってしもうた。
 そこで、広い田んぼをお地蔵さんにつけて、下ノ郷の村におもりをしてもらうことになったそうな。その時にお地蔵さんに下ノ郷へ越(こ)していただいたもんで、今も下ノ郷でおまつりされておるんや。
 そうそう、実はこのお地蔵さん、なかなか霊験(れいげん)あらたかでな、こんな話もあるんやで。
 今から五十年くらい前やけど、第二次世界大戦があったやろ。日本が世界の国々を相手に戦ったあの戦争や。
 このときはたくさんの若(わか)いもんらが兵隊になって戦争に出てな、遠い場所で死んでしもうた。お地蔵さんをおもりしておる下ノ郷からもたくさんの若いもんが戦争に行ったのやがな、不思議なことにだれ一人死なんと無事に帰ってきたんやと。
 下ノ郷のみなは、
「これはまったく、お地蔵さんのおかげや」
「ありがたいことや」
いうて感謝して、そのうちにこのお地蔵さんのことを「延命地蔵」と呼ぶようになったそうな。 
 それで、今でも下ノ郷の人らは、お地蔵さんを大切にしてな、当番を決めて毎日お花やお供(そな)えをしておまつりして、八月二十四日の地蔵盆(じぞうぼん)には、近くの町からもお参りする人があるんやて。
 
延命地蔵



読み手:正岡 高義さん