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河芸町 りょうぜんさん
良善さん
その昔、いつもありがたい法話を聞かせて下さるお坊さんを悪代官に殺せと
命じられた村人が悩みに悩んで選んだ、とてもつらく悲しいお話です。

お話を聞く

 河芸(かわげ)のお寺さんの浄光寺(じょうこうじ)に、昔、良善さんというお坊(ぼう)さんがおられた。
 良善さんは、今日は西、あしたは東と遠くの小さな村にまで足を運ばれて、仏の教えを熱心に説かれておった。
「おっさん、もうそろそろおいでになるころやなあ。待ちどおしいことや」
「不思議なことに、おっさんの話きいておると、気持ちが落ち着くんやなあ」
と、こんなふうに村の人たちは良善さんのことを『おっさん、おっさん』と言うてうやまっておった。
 春のお彼岸(ひがん)ももうすぐというのに小雪が舞(ま)う寒い日やった。この日、良善さんは白樫(しらかし)へ説教に行くことになっておった。冷たい風が吹(ふ)きつける道やったが、村の人たちの顔を思い浮かべながら歩いていると、寒さもいっこう気にならなかった。
用語説明
良善さん
昔、真慧上人(しんねしょうにん)が高田本山専修寺を栃木県から津の一身田に寺を移す際に尽力した、北黒田浄光寺の誓裕上人(せいゆうしょうにん)の愛弟子。その後浄光寺を継ぎ、仏の教えを広めた。

浄光寺
大徳山浄光寺

白樫
今の美里村足坂



 ところが白樫では、思いもよらぬ恐(おそ)ろしいことが良善さんを待ちうけておった。
 そのころ白樫には十七軒(けん)の家(うち)があって、八十人ほどの人たちが仲良(なかよ)く助けあって暮らしておった。この村を治めておったのが押場甚之丞(おしばじんのじょう)という代官(だいかん)で、この代官は村の人たちに無理難題(むりなんだい)を押(お)しつけるうえ、自分の利益のためにはいつも悪だくみをしておった。
 ある日、代官は村人たちを全部呼(よ)び集めた。そして、
「今度、良善がこの村にやって来たら殺してしまえ」
と命令した。
 無理難題になれている村人たちもこの命令には驚(おどろ)いた。
「突然(とつぜん)にまた何ででございますか」
とたずねても
「わたしらにはそんな恐ろしいこと、とてもできませんわ」
と訴(うった)えても代官は耳を貸さず、
「わしの言うことを聞かんかったら、どうなるかわかっておるやろな」
と脅(おど)かすだけやった。
 実は、代官は、村人たちが良善さんの説く仏の教えを大切にしているのが常々気に入らなかったし、また、今度の悪だくみも良善さんに見抜(みぬ)かれておったのだった。
 村人たちは、その日から集まって話し合った。何度も何度も話し合った。
「ありがたい仏の教えを説かれるおっさんを殺すやなんて。わしらの手で殺すやなんて、絶対にできん」
「でも、代官の言うことを聞かんかったら、わしらが今耕しておる田んぼも畑も全部取り上げられてしまうやろなあ」
「そしたら、村中のたれ死にせんならん」
という具合で、つまるところ、良善さんお一人の命をいただくか、自分たち八十人がのたれ死にをするか、この二つに一つをとらなければならなかった。
 村人たちは迷いに迷い、悩(なや)み苦しみ抜いた末に、
「もったいないことやが、良善さんのお命をちょうだいするほか道はない」
ということになった。
 ところが、十七軒のうち、宮村さんのところ一軒だけは、
「村の衆(しゅう)が泣(な)く泣く決められたこと、うちだけが勝手をするのはまことに申し訳(わけ)ないことやが、人を殺すのも地獄(じごく)、殺されるのも地獄、おんなじ地獄なら人殺しだけはせんとこと、うち中で決めましたんや。村八分になるのも家族皆殺(みなごろ)しにあうのも覚悟(かくご)のうえ。……仏さんにおまかせするだけですわ」
   



   
 白樫へ着かれた良善さんは、村の中がこんなことになっているとはつゆ知らず、いつものように説教をはじめられた。いつもの心にしみるありがたい話も、この日ばかりは村人の耳に何ひとつ入ってこなかった。ただもう、良善さんのお説教がこのままいつまでも続いて欲(ほ)しいと祈(いの)るばかりだった。
 だが、とうとうお説教は終わってしまった。村人たちは、重い腰(こし)を上げて、かねてからの代官の指図通り、良善さんを風呂(ふろ)へ案内した。風呂に入られるのを確かめると、風呂の入口や窓(まど)、そして屋根にも土台にも荒縄(あらなわ)をぐるぐる巻(ま)いて良善さんが外に出られんようにし、薪(まき)をどんどんくべて風呂をわかし続けた。
 煮(に)えたぎった風呂の中でもがき苦しむ良善さんのお姿(すがた)を想像しておった村人たちやったが、いっこうに風呂の中が変わったこともない。不思議に思ってそっとうかがっておると、いつもと変わらぬ良善さんのおちついた静かなお声が聞こえてきた。
「なあ、皆(みな)の衆。因果(いんが)はめぐってきますものや。私も今は墨染(すみぞ)めの衣(ころも)を着て、こうやって仏に仕える身ですけれども、前世では悪いことをしておったんですなあ……。この釜(かま)ゆでが何よりの証拠ですわ。皆の衆も常日頃(つねひごろ)ええことをして毎日お念仏を忘(わす)れんとなあ……今となっては、私も仏さんにおすがりしてお浄土(じょうど)へ参らせてもらいます。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」
 良善さんのお声がだんだん小そうなっていって、とうとう聞こえなくなってしまった。
 この時、村人たちはハッと我(われ)に返り、ああ、えらいことをしてしまった、取り返しのつかんことをしてしまったとみんなはその場にどっと泣き伏(ふ)してしまった。
 一方、悪代官(あくだいかん)は長野川の橋の上からこの様子をうかがっておったが、良善さんが息をひきとられたちょうどその頃(ころ)、乗っておった馬が急に暴(あば)れ出し、高い橋の上から川の中へまっさかさまに振(ふ)り落とされた。そして、川原の石に頭をぶっつけて死んでしまった。
 その後、悪代官の一族も良善さんをあやめた村の人たちも、わけのわからん病にかかってみんな死に絶えてしまった。そして、人殺しだけはどうしてもできんと言った宮村さんとこだけがこの村でたった一軒残ったそうや。
 
因果(いんが)
自分のした行いの良し悪しで、それに応じて良い報い悪い報いがあること。



読み手:平野 雅子さん