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地域の文化資産

度会府庁跡

 慶応3年(1867年)江戸幕府は、朝廷に大政を奉還しました。同4年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が度会府知事となり、小林村の旧山田奉行所に着任しました。あわせて宇治会合・山田三方会合の自治体も解体されました。
 
 翌明治2年(1869年)8月、度会府は度会県と改称されました。同3年6月、県庁舎は一之木町の山田三方会合所から、箕曲町(現在地・岩渕2丁目)の新築庁舎に移りました。敷地は1万坪(33,000平方メートル)ありました。
 
 明治4年11月には、新度会県の発足となり、一志・飯高・飯野・多気・度会・答志・英虞・南牟婁・北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分しました。
 
 明治9年(1876年)4月、三重県(安濃津県から改称)と合併することになり、度会県の歴史は幕を閉じました。 

度会府庁跡
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