「食の一句」入賞句 選評
盃は歪がうまし後の月
“後の月”であるから陰暦八月十五夜の月に対して九月十三夜の月。のちの名月ともなると、秋の気配濃く、酒も一段と旨く感じられる。その美禄を酌む盃の形に作者はこだわりを示す。端整な白磁を好む者もあれば、この作者のように手捻りの少々歪みある焼締めが良いという御仁も多い。完全無欠よりどこか“破(や)れ”破綻をきたしたものに“美”を感ずる日本人の美意識を窺うような秀吟である。なによりも直截なのが良い。
(中原道夫氏)
少し濡れ大胆になる川遊び
川の浅瀬で鮠や鮒を追ったり、水切りの石を投げたりした、夏の川遊びの記憶は誰にもある懐かしいものだ。この作品は、最初は衣服が濡れるのを恐れ、おずおずとしていたことも、濡れはじめると思いきりがついて、一気に弾みがつき出し、最後は水を掛け合ったり、となってしまう。そんな人の心の機微をとらえた楽しく明るい作品である。
(三重県俳句協会)
みちのくの子燕まさに飛ばんとす
復興の道を懸命に辿られる東北地方、その街や村に今年も多くの燕が訪れ、子燕が巣立って行く。報道によると復興にはまだまだ、多くの課題が残る現状であるが、新しい生命が生まれ、育まれ、育ってゆくのも現実であろう。この作はそんな願望と祈りをこめて作られ、選ばれたのである。
(三重県俳句協会)
鮟鱇鍋夜目にも白き怒涛寄す
海辺の料理店で、家族か友人たちと鮟鱇鍋を楽しんでいるのである。沖からは高々と夜目にも白く怒涛が寄せて来る。涛の音も聞えて来るようだ。大波の様子が美しい。
(有馬朗人氏)
朝市のレタスぱりっと折れそうな
採れたばかりの品の並ぶ朝市。とりわけ鮮度のたかいレタスに目がとまる。触ったわけではなく見ただけなのに「ぱりっと折れそう」と表現してそのパリパリした触感を伝えた若々しい句です。朝の輝き、市に集う人々の表情、レタスのまわりに積まれた胡瓜や茄子、セロリなどの夏野菜の輝き、それらなにもかもが「ぱりっ」としていて、みずみずしい季節を称えています。
(宇多喜代子氏)
茸らに足あるごとく隠れらる
隠れらる、の下五から、作者は数日前、事前に茸の群生をまの辺りにしていると読む。それをそろそろ採ろうと山に入った。そしたらあれほど群生していた茸が、悉く隠れたかのように、消えてしまった、という句意。茸に無論、足などある訳はないのだが、あたかもカリカチュアライズされた“茸”がモノ影に隠れるような、童話風な仕上がりとなっている。
(中原道夫氏)
蕗味噌や或る時父のなつかしき
ぷーんと匂ひ立つ蕗味噌にふと在りし日の父の姿を重ねてみた。父は好物であった蕗味噌を喜んでくれて今年の蕗味噌はよく出来たよ、昨年のは少し甘かったけれど等、父とした会話が甦へってくるのであった。蕗味噌という日常生活の中での何気ない食べ物から連想する父の姿がなつかしい。今頃だけとれる蕗の薹を刻んで味噌と合へるのだが中々程度いゝ味には出来ない。少し不出来でも喜んでくれた父を有難かったと今しみじみ思ふのであった。
(星野椿氏)
シリウスを己が恵方と定めたり
シリウスは別名天狼星。大犬座の首星で光輝が全天一番の青白色恒星であり、古代のエジプトでは太陽暦の生れる基準となった恒星である。また、恵方はその年の福神が居られる方角であるが、この作は、この星中の星とされるシリウスを自分の恵方と定める、と宣言することで、自分の決然とした意思を示す、声調の優れた作品である。
(三重県俳句協会)