「山の一句」入賞句 総評
シュプールを追ふシュプールを描きつつ
シュプールは言うまでもなく、スキーの滑降の行跡。スピードを競う競技ならずとも山の斜面を次々と降りて来る美技は、誰をも魅了する。先行する人を追う人も、同レベルのスピードと技術があって、初めて掲句のようなリフレインの良さが発揮される。またそのリフレインに因って、単一のものよりスピードも付加するように感じられる。"山の一句"で山の字を盛り込むことなく展開された雪山の景、見事と思うばかりだ。(中原道夫氏)
新しき菜籠が一つ春の土間
春、この家の土間に新しい籠が届いた。畑に葉を摘みに出るための籠である。
ぽつん、と一つ置かれたこの籠から広がるものは、これから迎える菠薐草、茄子、胡瓜、トマトと言った身近な野菜の収穫の予感である。対象だけを投げ出したような省略された表現が、〝春〟が持つ希望、明るさ、楽しさを読む側に存分に与えて多くの共感を得た。 (三重県俳句協会)
葛城山の風渡りくる袋掛
袋掛けがいっせいに行われている。そこに葛城山から風が吹いてくる。一言主神の神話で有名な葛城山の風である。風がもたらした一言は吉事に違いない。この風に祝福されて果物はよく育つであろう。静かな農村風景。(有馬朗人氏)
次々と鷹放ちをり賤ヶ岳
琵琶湖北端部東岸にある賤ヶ岳は五百メートル未満の山だが、秀吉によって柴田勝家が滅ぼされた賤ヶ岳の戦さで知られている。その山を麓から見ていると、幾羽とも知れぬ数の鷹が飛び立ってゆく。まるで仕掛けでもあるかのようなその様子を「鷹放ちをり」と表現したところに山の意志が感じられ、威厳に満ちた鷹の姿までが見えてくる。山名が生きており、スケールの大きな句となっている。(宇多喜代子氏)
雪嶺を胸にあたため街にあり
恐らく作者は何度か雪山を眼前にしたことがあるか、登攀経験ある人とみた。それはずっと若いときのことなのか最近のことなのかは、句の上からは解らない。しかし、時間と体力が許すならば、雪嶺を仰ぎたいと思っている。言葉の上で、雪嶺を(胸に)あたためる、という措辞に選者が魅了されたことは言うまでもない。雪嶺を思いつつ日を都会で暮らしている人は沢山いると思われる。(中原道夫氏)
山峡の一本道を初荷くる
山深く生活している人にとって旗を立てた初荷が来るのは楽しみである。今は流通がよくなって不便は少しづつ解消されてはいるが、一番欲しい物は情報である。初荷の中には週刊誌とかカイロ、海の幸とかちょっとしたお洒落なハンドバッグ等が積まれている。ことことと一本道を来る初荷もお正月気分もあって待遠しいものである。この一本道には日に何便かのバスも運行しているが過疎となった今の生活に、初荷といふ言葉が明るく響く句である。(星野椿氏)
初しぐれ三輪の杉玉届くころ
杉玉は杉の葉を毬状に束ねたもので酒林とも呼ばれる。酒の神様三輪神社の神木が杉であることからの縁起物で、多くの酒屋では、その年の新酒の出初める頃、軒に吊るして看板とするのである。
この作品は野を渡ってくる初しぐれと緑濃い杉玉を重ねることで、自然と人の関わりをしみじみと描き余情が深い。 (三重県俳句協会)