「音の一句」入賞句 総評
受胎告知雲雀は空に上りけり
雲雀の鳴き声に着目している点、今回のテーマの「音の一句」として適切な句と考えられる。イエスの母マリアが、天使ガブリエルによって、受胎を告げられたと、新約聖書に書かれている。日は三月二五日、雲雀は鳴きながら空高く昇って行く。春もたけなわ、日も輝き、風もきらきら光る。その空を上ったり下ったり楽しく鳴く雲雀を見ていると、こんなに美しい日に受胎告知があったに違いないと思えてくる。雲雀が天に昇る姿が、告知を終えて天に歸る天使に思えてくるところが佳い。(有馬朗人氏)
月山の雪の匂ひや蕗の薹
出羽三山の一つ月山は古代から信仰の山として知られる名山、芭蕉の「雲の峰いくつ崩れて月の山」も残る。春、その山裾の雪を衝いて萌え出でた蕗の薹に、作者はほとばしるような生命感を見たのだ。(三重県俳句協会)
鈴虫を甕に鳴かせて町医たり
近くの医者の家へ診察を受けに行った。玄関のどこかで鈴虫の声がしている。虫籠かと思って見廻しても無い。鈴虫の声は甕の中から聞えて來るのであった。地方の町の医院らしい感じがする。現代風と言うより、昔から町の人々に親しまれている古風な医院の感じである。落着いた懐かしい風景が描かれていて佳い。(有馬朗人氏)
さまざまの音通りくる簾かな
簾は、部屋の内外を隔てたり、夏の日差しを遮ったり、装飾に垂らしたり、さまざまに用いられます。室内にいると、細く編まれた竹や盧のすき間から、外のいろいろの音が耳に入ってきます。目に見えないいろいろなものが簾を通り来るのですが、その中の音を意識したのがこの句です。風の音、人声、自動車の往き来する音、鳥の声などなど。簾を吊らしていなかったときには気がつかなかった音のいろいろです。(宇多喜代子氏)
戸を叩く木枯し入れてしまおうか
喋り言葉がそのまま一句になったような句である。「切れ」もなく韻文精神などとは無縁のところで書かれていて、これでも俳句?という気分も確かにある。しかし、読み手の心を解きほぐすということでいえば、充分俳諧の要素を備えているし、微笑ましく愉快ではないか。「音」をテーマとしながらも、直接「音」という文字を使用していない点にも、作者の力量を感じさせる。(中原道夫氏)
辻馬車の蹄の音も花の中
辻馬車とは乗合馬車の事であり、辻々で客を拾ってゆくのんびりとした風景が甦える。そろそろ辻馬車が来る頃であろうと待っている処へ遠くから蹄の音がきこえてきてほっとする心持がよく描かれている。折から桜も咲き北国の雪も解け始める頃の一番香ぐわしい気候を思わせる、花の中と云う下五が見事にこの句の要になって情景を浮かび上らせている。辻馬車の蹄の音も鈴の音もなつかしく恰も私が辻馬車を待っている様な心持を覚える句であり、特選とさせて頂いた。(星野椿氏)
帰省して校歌の海を眺めをり
校歌はその地の山河や海と言った自然を讃えるものが多くある。在校時にはさほど感じなかったその校歌も年を経て帰省すると、その校歌の景もことさらに思われるのである。しみじみとした表白が心を打つ作品である。(三重県俳句協会)