「木の一句」入賞句 総評
大木を動かしてをり兜虫
兜虫は昆虫随一の力持ち。とはいえものを動かす力には限度がある。この句の「大木」の「大」は人間の計る「大」ではなく、兜虫にとっての「大」。人の目には積木ほどの木であっても、兜虫には大木なのだ。兜虫の動かす木の大きさを、およそあの程度だろうと察するが、その木を「大木」と誇張したところにおもしろ味のある句だ。渾身の力で大木を動かしている兜虫の様相にエールを送りたくなる句である。(宇多喜代子氏)
受験生無言の父に送らるる
中学、高校、はたまた大学、受験は現代社会では人生の一大事である。この日は受験生にとっても家族にとっても最高に緊張の高まる一日であろう。受験票は、忘れ物は、とあれこれ注意する母と対照的に無言で見送る父、この無言が父の子に対する信頼であり、子への思いやりなのである。そんな父情の一句だ。(三重県俳句協会)
雪吊りを解かれた木からしゃべりだす
雪吊の縄も緊張しているが、木々はそれ以上に窮屈な思いをしているに違いない。春が来て雪吊を解かれた木は、ほつとして、解かれた順にしやべり出したのである。ほつとして喜んでいる木の姿が目に浮んでくる。(有馬朗人氏)
一木に那智の大滝かくれたり
那智の大滝を隠してしまうほどの木とは、どんなに大きな木なんだろうと思われるかもしれないが、この木はさほど大きくはないと思う。木の立つ近景、はるかに立つ滝。その距離が「一木」をクローズアップの手法で近づけ、そのことで、那智の滝のスケールの大きさを出す効果もあげている。何の「木」と木の名が特定されていないから、茂った夏木をあれこれと自由に想像する。滝と木のある大景の構図を彷彿とさせる句だ。(宇多喜代子氏)
草も木も雨も匂ひてかたつむり
一見、草、木、雨、そして蝸牛と四つもの形あるものが一句の中で鬩ぎ合う、およそシンプルに一物に焦点を絞れという句作りからは遠い作品である。しかし自然自体が〝季重なり〟であるように、〝かたつむり〟も取り巻く自然の中の一員として、細々とまた営々と生きている。作者は充分そのことを承知しつつ、かたつむりの実相に挑んだ。草も木も雨も同格に〝匂〟を持つこと、そしてそれらが一斉に雨の日の蝸牛を讃美する姿を美しいと感じたのだ。(中原道夫氏)
何の木か解らぬままに芽ぶきけり
くるくると渦を巻いた芽吹き、尖った芽吹き等様々であるが何の木か全く解らない芽吹きも楽しみである。銀杏の芽吹きは小さい小さい銀杏の形をしている。総ては親の木からのDNAを持った生命力を天に向って広げているのである。これらの木の春待つ姿を頼母しいと思ふのである。俳句は詩であるから仄かな余韻があるのが好もしい。この一句は未来を詠んだものであり若々しいエネルギーを感ずる。大自然の営みは無限である。御健吟を祈りつつ(星野椿氏)
薄氷を持ち学校の門くぐる
春まだ浅いころの登校風景。田圃にあったものか、池の面のものか、日にかざすと光りが透けてきらきらする薄氷を、宝物のようにかざしているのであろう。手を真っ赤にしながら持っているのは健康的で元気の良い男の子が想像される。子供達の弾けるような笑い声が聞こえてくる明るい作品である。(三重県俳句協会)