「光の一句」入賞句 総評
村捨てし人より届く祭寄付
もう随分昔に村を去って行った人。村人の記憶からは既に消え去ったような人から、ひょっこりと届いた祭への寄付。そう言えばあの人は笛が上手だったな、と言った思い出話がひとしきり村の話題となって月日が深まってゆく、そんな一句であろうか。それにしても人は老いるとその思いは故郷に回帰するものであるようだ。(三重県俳句協会)
水中花光をほぐし開きけり
水中花を水を満したコップや瓶に静かに沈めると、徐々に花を開いてゆく。その瞬間を「光をほぐして開」くと表現したところが優れている。ゆっくりと花が開いてゆく様子は、本当に光がほぐれて輝き出すようである。それまで硬く閉じこめられていた美しい色が、鮮やかに光を放出し始める。このような光景が巧みに描かれている。(有馬朗人氏)
よき光よき風ありて種を蒔く
北からの風が東風に変わり、ようやく早春の兆しが山野に満ちるようになると、「耕」が始まり、いよいよ種を蒔く時期が到来します。種蒔を済ませた後は、取り入れのときまで、頼りになるのはまさに「よき光よき風」。むかしの人が言い伝えてきた五風十雨の恵みです。いかに人工的に見事な設備で光や風を作り出しても、天然のそれには敵いません。 種蒔の日に「よき光よき風」に恵まれたということは、その作物がすくすくと育つような期待をはらんでいて、気持ちが明るくなります。 「光」と「風」という言葉だけで、春が来た、だから嬉しいと言う気分がたっぷりと伝わる。くどくどと述べなくても言いたいところが伝わるという俳句の俳句たるところを心得た一句です。(宇多喜代子氏)
天狼の不羈なる光仰ぎけり
天狼星は冬空に全天一明るく輝くシリウスの中国名である。和名はその色から青(あお)星(ぼし)、大星ともいう。歳時記に天狼星の特別項目立てはないが、冴えきった冬天の一等の星として充分「冬」で通用する。掲句はその天狼の「狼」の字面から“不羈”、つまりしばりつけておけない、自由奔放に山野を闊歩する狼のイメージを得た。平たく書けば、ギラギラと光るまるで狼の目のような星を仰いだ、という意となる。しかしそれを“不羈なる光”と厳めしく表現したことで、格調が増した。(中原道夫氏)
指先に春待つ光観世音
観音の細い指先は印を結びしなやかに天を指している。寒い冬を越えてこられた観音様の御手の光が射し出した。それは恰かも春待つ光なのである。微かにほほえみつつ観音様は我々を見守っていて下さる。その力は今や光となって平和と希望を与へて下さっているのである。この句の流れる様な上五の出だしが良く、待春の溢れる心情が出ている句になった。観世音といふ結びも句に品格を添えているのである。(星野椿氏)
老いるとは父に似ること零余子飯
人は誰でも確実に年をとる。そして男は父に、女は母に似てくるもののようだ。それは決して嬉しいことではないが、諾う他ないことである。この作者も晩年の父のその生き方をも含めてそれを承認しているのであろう。零余子飯の滋味深い味わいがそれを物語っている奥行きのある一句である。 (三重県俳句協会)