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俳句のくに・三重

「火の一句」入賞句 総評

しぐるるや串に火のつく五平餅

五平餅は御幣餅とも書く。長野や岐阜などの郷土料理である。楕円形や団子形に搗きつぶした御飯を串につける。それに味噌や醤油のたれをぬり、火であぶる。昔なつかしい味である。時雨が降る中で五平餅を焼く光景もまた、しみじみとした昔なつかしさがある。その串に火がついたところを写生したことにより、時雨と五平餅の対照が一層浮び上り、佳句になったのである。

草踏めば草の匂ひの良夜かな

陰暦八月十五日、中秋の名月の夜が晴れ渡って月が明らかに望める夜が良夜、清々しく明らかな景を古来より賞(め)でられてきた。 この作、庭か、野原か、月を見ようと作者が降り立った所から夜露を含んだ草の匂ひが立つのであろう。”草踏めば草の”と韻を踏んでいるところなど、古典的なようでありながら一歩、そこを抜け出た立ち姿の良い句である。(三重県俳句協会)

焚火して追儺の鬼を待ってをり

豆まきの日の鬼役は、父であったり祖父であったり、或は集落の若者や世話役の人々だったりする。皆がよく知っている人々である。神社や集落の中心で豆まきが行われ、子どもも大人も豆を鬼にぶっつける。その鬼は別な広場へ逃げて行くと、焚火をして人々が鬼を笑顔で温かく待っているのである。「お疲れさまでした。お茶でもおあがり。」という声が聞こえてくるようだ。平和な温かい集落の光景。(有馬朗人氏)

抱く子にも火の粉いただくお水取

奈良東大寺二月堂の修二会行事として知られている「お水取」。とりわけ堂縁から零れ落ちる籠松明の火の粉を浴びると厄除けになると言われており、群集が歓声をあげて集まる。子を抱いて来た作者は、その子の身の上の息災を願いつつ火の粉の下に立つ。「火の粉いただく」という自ずから成る謙譲語がこの句の要であろう。ただ、火の粉がかかるというだけであったら、「お水取」の一景を述べただけの句になったと思う。(宇多喜代子氏)

風の意に添うて崩るる榾火かな

”雨意”という言葉があるように、風の意、”風意”という言葉を造り出しても良さそうである。”意”は気配とか心を蔵していて、詩歌、殊に抒情には不可欠な”情”と通じている。掲句は燃え尽きた大きな榾が、ガクリと崩れるさまを書いたものだが、崩れる、崩れないかは風の意志に準ずるという、摂理を示している。摂理と書くと、堅苦しく感じられるが、自然のなりゆきを”気配”と捉え、見守っている作者の確かな眼がここにある。(中原道夫氏)

ラブレターのみこんでゆく焚火かな

誰にでもある青春の思出。今や焚火に放り込んで煙となってゆくラブレター。ふと淋しい横顔が浮かぶ。ラブレターはその一行一行をも蔑ろにすることは出来ない愛情がこもっている。その愛情はまさに今炎の中にある。お互い愛し合った過去を一瞬にして消し去ってゆく焚火に果してすっきりと忘れ去る事が出来るのであろうか。青春は二度とは還ってこず炎の中に永遠に消え去ってゆく愛。それも一つの人生なのであり、又再出発でもある。(星野椿氏)

地球儀の裏側くらき去年今年

物体としての地球儀が、光の当らない片側が暗いのは当然の現象なのだが、この作はそれに”去年今年”という”時と季”を与えることで、現在の世界を襲っている経済不況や泥沼化したイラク戦争などを暗示しているのである。俳句は短いがゆえにこうした時事や世情を直接的に表現するには向かない詩形であるが、この作はそこを越えていて秀抜。(三重県俳句協会)

本ページに関する問い合わせ先

三重県 環境生活部 文化振興課 文化企画班 〒514-8570 
津市広明町13番地
電話番号:059-224-2176 
ファクス番号:059-224-2408 
メールアドレス:bunka@pref.mie.jp

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