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俳句のくに・三重

雲裡坊杉夫

俳人伝

雲裡坊杉夫(うんりぼうさんぷ)1692~1761
渡辺氏。尾張の人。俳諧を支考に学び、鳥巣仁の号を授けられ、三四庵・杉夫・有椎翁五世とも号した。延享四年琵琶湖畔の無名庵に入って五世の主となり、境内に幻住庵を再興し、且つ幻住庵の椎の木を無名庵に移植して有椎老人と号した。交友が多く、四方を行脚した。宝暦五年橋立に停留中の蕪村を訪ねて歌仙を巻き、その帰るに当って蕪村は宮津から橋立まで送って来て、「短夜や六里の松に更けたらず 蕪村」と別れを惜しんでいる。のち、雲裡追悼集『桐の影』には、雲裡が江戸の中橋にいた昔をなつかしんだ蕪村の句があって、蕪村東遊時代からの友人である事が知られる。宝暦十年秋、無名庵を出て京都鎌倉の夜長庵に移り、晩秋には筑紫の旅に出た。この行庵が出来た記念に『柱かくし』、寛保三年『桑名万句』があり、無名庵に入って後、幻住庵再興のため各地を行脚して句を請い、宝暦二年に『蕉門名録集』を刊行した。宝暦十一年四月二十七日に没した。年六十九。追福集に明和二年『鳥帽子塚』、安永三年に『向芝園廻文』、同六年に『桐の影』、七年に『蕉門花伝授』などがある。『鳥帽子塚』には宝暦十一年盛夏浮巣庵文素の序があり、 他の文献に徴しても誤りはないと思われるが、『向芝園廻文』には、雲裡の像の上に「宝暦十二年壬午歳四月甘七日卒、葬於義仲寺、時年六十六」とある。

関連人物・史跡等

◆支考(しこう)・・・各務支考(かがみしこう)松尾芭蕉の門人。
◆蕪村(ぶそん)・・・俳人。画家。その絵画的描写は、明治の子規らによる近代俳句運動に影響を与えている。

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