森川滄波
俳人伝
森川滄波(もりかわそうは)1742~1822
1742年(寛保2年)平生町で鬢付油商を営む須賀屋に生まれ、通称を吉郎兵衛と称し、滄波・涵月庵(かんげつあん)と号する。松阪名産「白梅」本舗の製造・販売元でもある。家業の傍ら、江戸の俳人鳥明に師事して俳諧を志し、商用の合間に江戸の俳人と深く交わる。60歳頃に隠居した後、一葉庵を主宰し、松阪俳壇の中心として活躍する。句集に「一葉額」等があり、愛宕町の竜泉寺境内に句碑が建つ。1822年(文政5年)81歳で没する。
関連人物・史跡等
◆鬢付油(びんつけあぶら)・・・関所や城下などを通る際に、鬢(頭の左右の耳より前の髪)が乱れないようにするためのものです。