みえの文化団体詳細
地域 | 東紀州地域 |
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団体名 | 神山ジャジャツク盆踊り等保存会
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プロフィール | ○代表 福田 哲夫 ○会員数 熊野市飛鳥町神山地区全戸(平成27年2月現在88戸) ○構成 踊り手:女性18人 唄い手:6人 ジャジャツク奏者:7人 ○結成 昭和45年 神山ジャジャツク盆踊り等保存会は、昭和44年7月17日、熊野市指定無形民俗文化財に認定されたのを機に、翌年45年にジャジャツク盆踊りや、その他郷土の伝統芸能をより一層活発化させるとともに、後継者の育成を図ることを目的に発足しました。 【これまでの活動】 平成18年7月 吉野熊野国立公園70周年記念事業「郷土伝承盆踊り共演会」に出演 平成20年1月 名古屋市で開催された「三重熊野学フォーラム」において、郷土芸能大会アトラクションに出演 平成21年2月 飛鳥中学校の地域学習として指導 平成21年11月 熊野市民文化祭に伝統芸能の部門で出演 平成22年8月 三重県の伝統芸能デジタル化事業に参加し、県のインターネット放送局に芸能内容をアップ 平成24年5月 熊野市「オール熊野No.1フェスティバル」のイベントに、地域の芸能部門で出演 |
記事 |
かつては、お盆の8月15日、16日には、朝から人寄せのためのジャジャツクが光福寺の寺院から鳴り響いていました。 ジャジャツクとは釣鐘と太鼓を並べた楽器です。打ち手が、右手にシャマタと呼ばれる二股の打棒を持って釣鐘と太鼓を同時に鳴らし、伴奏のように音を刻みます。左手には、シュモクと呼ばれる打ち棒を持ち、太鼓を叩きます。これら二つの動作を一人で同時に行い、左右が常に一定のリズムを保ちながら、独特の雰囲気を醸し出します。 ジャジャツクの名前の由来は、「鐘や太鼓をじゃんじゃん突く」あるいは「ジャジャ」が鐘、「ツク」が太鼓の音からきていると言われ、また、仏式には「江湖戒除(こうこかいじょ)の鐘(かね)」と称されます。 神山ジャジャツク盆踊り等保存会は、ジャジャツクを含む以下の4つの活動を年間を通じて行っています。 @盆踊り:大和踊り、甚句(じんく)踊り、三ツ拍子踊りを中心に、正しい踊り方の練習と指導 A音頭取り:盆踊り(大和踊り、甚句踊り、三ツ拍子踊り)に合わせた3種類の音頭の伝承 Bジャジャツク:ジャジャツクの伝承と指導 毎年、お盆にむけて7月頃から会員たちを集めて練習を始めます。 指導者や若者の減少に悩みながらも、お盆の時期だけに限らず年間通して練習の機会をつくり、若い世代がジャジャツクに親しめるよう考えています。 C祝い唄:よいころ節、伊勢音頭の伝承 よいころ節は、建前や結婚式など、祝い事のはじまりに唄われます。飛鳥町全域で唄われているものですが、地区によって節回しが違い、神山地区独特の節回しで唄われます。 伊勢音頭は、祭りや結婚式の送り出しのときに唄われます。この音頭は三重県内各地で唄われていますが、よいころ節同様に神山地区独特の節回しで唄われます。 現在では結婚式を地元であげる人も少なくなったため、祝い唄が唄われる機会は少なくなりましたが、かつての祭りや結婚式には よいころ節ではじまり、伊勢音頭で送り出すという流れがありました。現在は主に飛鳥神社のお祭りで唄われています。 「ジャジャツクが盛んだったころは、各人が自己流で独自の叩き方を披露し、囃子を聞いて『これは誰それが叩いている』とわかったものです」と、保存会の方は懐かしく振り返りました。 ジャジャツクは江戸時代末頃、当地方に伝わり、曹洞宗の5寺において盛んに行われていましたが、今なお残存するのは光福寺のみです。 ■保存会さんより今後の目標・・ 過疎化の進行により、唄い手・踊り手・ジャジャツク奏者が著しく不足しています。とくにジャジャツク奏者においては、伝承者が一名しかいないため、演技をビデオに収め、後世に伝えていきたいと考えています。 自分たちの町に伝わる伝統芸能の価値を知ってもらい、月に一回でも練習の場を設け、後継者を育成していきたいと思います。 盆踊り風景 ジャジャツク演奏 |
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取材機関 | 紀南地域活性化局 |
登録日 | 平成27年3月4日 |