みえの文化団体詳細
地域 | 東紀州地域 |
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団体名 | 六方行列保存会
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プロフィール | 代表 浜本 忠久 会員数 30名 結成 平成10年10月1日 当保存会は、約150年前から伝承されてきた六方行列を次の世代へ継承するために創設されました。 <主な活動> 平成6年 三重県総合文化センターこけら落としイベントに参加 平成16年 熊野古道世界遺産登録祝賀イベントに参加 平成16年 日本まんなか共和国知事サミットに参加(紀伊長島町(現在の紀北町)で開催) 平成19年 三重県立熊野古道センタ−オープニングイベントに参加 平成22年 熊野市文化交流センター落成式に参加 その他、熊野市民会館においてのイベントに多数参加 |
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熊野市の木本神社は、慶長13年(1608年)に遷座された由緒ある神社です。 毎年10月第二日曜日の木本神社例大祭では、祭りの中心である暴れ神輿に付き添う形で六方行列が進み、顔に勇ましい隈取りの化粧を施した木本町親地町の子供達が、歌い手に合いの手の掛け声(※1)を入れて勇ましく“六方を振る”姿は例大祭の花形になっています。 六方行列は、元和5年(1619年)に徳川親藩として紀州に入国した徳川頼宣公を迎え、本藩公領地となった住民がその喜びの心を表して始められたものとされています。 安政2年(1855年)3月、熊野にある木本組3組の本藩領と有田・日高方面の新宮支藩領を村替えするという公示があり、熊野にある公領4組の住民は、3ヶ年にわたり村替え阻止の運動を展開しました。 この騒動を解決しようと乗り出した本藩組頭「吉田庄太夫」は、村替え永久据置き以外に解決方法はないと判断し、独断をもって住民に永久据置きを誓いました。 後日、事件を決着させるために江戸に発つことになった吉田庄太夫を、木本住民は大明神の旗を立てて見送り、村民のため一身を捨ててその解決に尽力した徳にちなみ、吉田大明神として祀りました。 こうした村替え騒動決着を機に、六方行列は一段と強化されたと伝えられます。 “六方”の名前は、天地東西南北の6方向に大きく手を振って足を強く踏みしめるような所作から、歌舞伎の六法(方)に由来していると言われています。笛吹き・歌い手数名に次いで、挟み箱・熊毛・鳥毛・手槍・立ち台・弓・鉄砲などの道具を身に着け奴姿に扮した総勢22人から30人の若い衆が行列を組みます。 当初、六方行列のメンバーは地元青年団など20代から40代の若者でしたが、近年は地元の子供たちによる構成となっており、最後尾をたどたどしく歩く稚児奴の姿には思わず顔がほころびます。 この六方の所作や衣装の着付け・顔化粧には、独特のしきたりがあります。これらは後世に受け継がれなくてはならないものでありながら文書としての記録は何一つなく、単に古老の言い伝えに頼るほかはありません。 六方行列保存会は、これらの伝統を次世代に伝授していくのが役目だと考え、市内の六方行列の展示施設である「六方の館」に於いて、定期的に顔化粧・所作など技法の勉強会を行っています。 平成11年1月28日、六方行列は、熊野市から無形民俗文化財の指定を受けました。 ※1掛け声: フリコーメソー ヨーイヨイ ソーレ ソーレ ヨイヨイ セッ ヨイヤハッ ヨイヤハッ ヨイヤハッ 顔化粧 六方行列 |
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登録日 | 平成26年7月1日 |