銅鐘 永禄十一戊辰年十一月廿八日藤原朝臣三郎兵衛尉作の銘がある。

どうしょう


指定区分

指定種別

有形文化財(工芸品)

指定・登録日

市町

松阪市

所在地

松阪市飯南町深野

所有者

来迎寺

員数

1口

構造

-

年代

室町時代(永禄11、1568年)
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関連資料

概要

 銅製、鋳造。総高96㎝、口径55㎝、口唇の厚さ6.4㎝。双頭の龍頭、袈裟襷状区画、鐘身の上部四方には乳廓がある。撞座は十二葉蓮弁文である。
 池の間四区に銘文が陰刻されている。第4区の銘は、元銘を叩き潰して刻んでいる。銘は3時期あり、最古のものは「越前国東南西郡/千僧供之庄内/八王子殿山王大権現」、「永禄十一<戊辰>年十一月廿八日/大工鞍谷長屋村住人/藤原朝臣/三郎兵衛尉作」、次に「天正十二年<甲申>十一月廿八日/買求 三刕足助八幡宮/奉寄進 亀帯大夫」、最後に「(前略)伊勢国飯高郡深野村弧雲山来迎寺(中略)弧雲山廿六世/明治十二年<己卯>二月廿日祥譽瑞應代」とある。これらにより、この鐘は永禄11年に越前国山王大権現社の鐘として造られ、天正12(1584)年に三河国足助八幡宮へ移り、更に明治12(1879)年に来迎寺の所有者となったことがわかる。来迎寺では、明治12年に当寺に新しい鐘を掛けることになり、桑名の鋳物師から購入したという。足助八幡宮にあった江戸時代には、「三河名所図絵」にも記載される鐘であった。
 この梵鐘は、小型で装飾は少ないが、室町末期の特色が良く出た有銘資料として貴重である。

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