久留倍官衙遺跡

くるべかんがいせき


久留倍官衙遺跡

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

四日市市

所在地

四日市市大矢知町字矢内谷、字久留倍

所有者

四日市市・国土交通省

員数

-

構造

面積 21,450.51㎡

年代

飛鳥時代、奈良時代ほか
関係サイト
関連資料

概要

 四日市市の北部、伊勢湾を望む丘陵の東先端部に位置する古代の官衙(かんが)遺跡(役所跡)である。一般国道1号北勢バイパスの建設工事に先立ち、平成13年度から17年度まで四日市市教育委員会によって行われた発掘調査の結果、多数の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が検出された。検出した遺構は大きくⅠ期からⅢ期に分けられ、Ⅰ期は正殿、脇殿(わきでん)等を整然と配置する政庁(せいちょう)、Ⅱ期は長大な東西棟建物群、Ⅲ期は倉庫群からなる正倉院と、時期により異なった性格を示す。また、政庁は全て東を正面とする点が特徴である。
 久留倍官衙遺跡は官衙の政庁や正倉院等が時期ごとに場所を違えて展開するもので、古代伊勢国朝明郡衙跡(あさけぐんがあと)である可能性が高いと考えられる。また、壬申の乱(じんしんのらん)の際に大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)が朝明郡に立ち寄ったことが知られており、それとの関係も注目される。
 久留倍官衙遺跡は官衙遺跡が明確な形で確認でき、政庁、正倉院等が明瞭に把握できる点で貴重であり、古代国家の地方支配体制を具体的に示すものとしてきわめて重要である。

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