みえの文化びと詳細
地域 | 伊賀地域 |
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名前 | 長谷 優磁
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プロフィール | 天保3年(1832)の築窯以来、伊賀焼きの伝統文化を継承しつつ、常に時代のニーズに応じた作陶を続ける伊賀焼きの郷・長谷園の7代目当主。伝統の象徴16連房の登り窯が現存するのは日本中で長谷園だけである。 |
記事 |
日本の古きよき時代の父親。のような人である。 古きよき時代・・・そう、夕方には家々から夕餉の煙とにおいが立ち上り 遊びに夢中になっていた子どもたちは家路を急いだあの頃である。 夕餉の食卓には手作りのおかずとあったかいご飯。みんなの顔が輝く。 「おう、お前の好きなかしわ、もう煮えてるぞ」そう言って一人ひとりにお父さんが鍋から取り分けてくれる。 陶芸家という肩書きでよろしいか?と訊ねる私に 「いや、ものをつくるひと。陶工だよ。生活用具=民具をつくっているんだから。 民具には生活の智慧がつまっている。伊賀の先人は伊賀の土という素晴らしい素材を見つけてくれた。その素材で民具をつくる。これが民芸だよ。僕はさぁ、民芸の人でありたいんだよ」 「だからと言って 懐古主義に走った昔の模倣はよくない。民具は生活。時代に即したものでなければ意味がない」 そこで生まれたのが、電子レンジにも対応できる陶器の釜や、1つで何役もこなし コンパクトに収納できるお鍋など。 「僕のものづくりの根底には“食卓で・・・ながら”という想いがあるんだ。食は日本の大事な文化だよ。でも、今の世の中どうなってるんだろう。個食や孤食という言葉がうまれるようになってしまった。ひとつのものを囲むことで思いやりがうまれ、強い絆が結ばれる。単なる団欒じゃないんだな。僕が時代に即した製品をつくったのは、単に腹を膨らませるためじゃない。手抜きのためではもちろんない。」 食卓を囲んでうまれる思いやり。その根底に流れる思いはいくら時代が変わっても 変わりはしない。長谷さんの哲学“食卓で・・・ながら” 同じ伊賀の出身である俳聖・松尾芭蕉の唱えた“不易流行”(*1)という言葉と重なりあった。 是非、長谷園を訪れてほしい。そこで長谷さんの思いがこもった民具の数々を手にとってそのあたたかさに触れてほしい。 (*1)不易流行:不易は永遠に変わらない、伝統や芸術の精神。流行は新しみを求めて時代とともに変化するもの。相反するようにみえる流行と不易も、ともに風雅に根ざす根源は実は同じであるとする考え 長谷優磁さんの作品 |
問い合わせ先 | |
ホームページ | http://www.igamono.co.jp/introduction/index.html |
取材機関 | |
登録日 | 平成20年10月17日 |