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みえの文化びと詳細

地域 伊勢・志摩地域
名前 小説家・外城田川忍(ときだがわしのぶ)

無題
かつて遊郭であった建物(2作目の舞台)を前にする外城田川忍さん

プロフィール  現在、出版等のメディアは東京に一極集中していますが、外城田川忍さんは、この三重県で小説の執筆と出版を続けています。

 外城田川さんは、昭和24年、三重県度会郡玉城町に生まれました。高校卒業後、早稲田大学商学部に入学し、上京します。昭和47年に同大学を卒業して、全国紙である産経新聞社に入社しました。
 同社でスポーツ取材を中心に活躍し、新聞記者としてのキャリアを積みました。その後、編集、事業、総務の局次長を歴任します。平成15年に、産経新聞社東北総局長として、仙台に栄転しました。
 その赴任時期に、それまでアマチュア中心だったサッカーやバスケットボールの地方チームがプロ化しました。さらに東北の人たちが熱望していたプロ野球チームもできました。東北のスポーツ報道が盛り上がりました。

 外城田川さんは、東京を離れた後を含め、報道という形で、常にメディアの最先端にいました。

 平成21年に同社を定年退社した後、平成28年に玉城町に住居を移し、作家活動を開始しました。

平成30年 デビュー作『鳥名子舞(となごまい)』出版
令和元年 2作目『勝田街山壱楼(かったまちやまいちろう)』出版

 早大時代はライフル射撃部に所属しました。趣味はゴルフ、囲碁、邪馬台国です。それらの多くが小説の中で活かされています。

 現在、3作目『大岡越前守ビギニング』を執筆中です。
記事  外城田川さんが発表した小説は、すべて、外城田川さんの生まれ故郷である三重県度会郡玉城町が舞台です。外城田川さんは、小説を通じて「町おこし」したいと考えています。

「玉城町は人口1万5千人しかいないが、これほど恵まれ、成熟した町はない。この規模の自治体で町立病院がある。大企業の工場のため高速道路のインターチェンジがある。お城、温泉、ゴルフ場など、観光や娯楽の施設もある。人に来てもらえる場所だ。
 これほど恵まれているのに、町民や自治体は『どうせ田舎だから』と、我が町を押し出していくことに消極的だ。いろんな場所を見てきた私からすれば、非常にもったいない。町民に郷土の素晴らしさを認識してもらうため、町外の方に玉城町に来てもらうため、町の歴史を小説にして広めたいと思った。」



 外城田川さんは、玉城町の地名や地形を小説内で詳細に描写します。外城田川さんの地理描写はとてもわかりやすく、読者にその場にいるような臨場感を与えます。小説の発表後、玉城町を訪れる人が増えました。多くの人が小説の舞台を見に来ました。

 歴史上重要な場所だけれど、今は顧みる人がいなくなっていた神社に、読者が何人も訪れました。関係者が慌てて、月一度の割合から、週一度の頻度で掃除するようになりました。人が訪れ、地元の意識が変わりました。



 小説のタイトルとなった「鳥名子舞」とは、玉城町の子どもたちが伊勢神宮に奉納する舞のことです。1500年以上前から存在した記録が残っています。しかし、明治時代に伝承が絶え、どのような舞だったかわかりません。そこで、玉城町の町長は、大学で雅楽を研究する学者にその復元を依頼しました。研究者は、残っている音楽を元に、舞の形を作りました。

 町長は、復元された舞を広報するため、そのキャリアを見込んで、外城田川さんに相談しました。その相談が、外城田川さんが地元の歴史を小説にしようと思ったきっかけです。



 ベテラン新聞記者の外城田川さんが、なぜ小説という方法を選んだのでしょうか。



 外城田川さんは、小説と新聞記事の違いを次のように表現します。

「100を聞いて1を書くのが新聞記事。真相に迫り、奥行きのある記事にするためには、調べたことを全部書くことはできない。逆に、1を聞いて100を書くのが小説。あったことをそのまま書くのではなく、作者の頭の中で膨らませていく。」

 また、「取材」について、次のように話します。

「取材すればするほど、面白さが失われる。人は調べる前に想像でイメージを作るけど、実像を知るとそれが壊れるから。」

 外城田川さんは、「鳥名子舞」に人々の関心を引くには、想像で勝負する小説による方が効果的だと考えました。



 鳥名子舞がはじまったのは、文書の記録がまだない時代です。その時代の出来事は口伝を経て、後の時代に歴史書に記されますが、詳細はわかりません。

 たとえば、小説『鳥名子舞』には、「斎王」が登場します。斎王とは伊勢神宮に参る天皇の代理人のような地位にあった女性の称号ですが、斎宮歴史博物館の公式見解で「最初の斎王」とされるのは、この小説の時代より200年も後の、「壬申の乱」の頃の人物です。この小説の登場人物は「伝承の時代の斎王」と扱われています。

 そんな古い時代に、人々の想像力はかき立てられます。

 有名な例は「邪馬台国がどこにあったか」の論争です。限られた資料を根拠に、学者だけでなく、一般人やミステリ作家が、想像力で補った各自の見解で議論しています。外城田川さんも論争の参加者です。小説『鳥名子舞』の中で自説を展開しました。

 記者としての取材力を背景に、資料を探し、読み込み、推理し、想像するという作業を、今度は地域の歴史や文化を小説にすることでやって見せようというわけです。



 外城田川さんは、「ストーリーはすべて作者が想像したフィクション」と言います。「本筋を変えてはいけないが」と前置きしつつ、「歴史小説を書く醍醐味は、歴史の創作にある」と考えています。

 そのストーリーはとてもドラマチックです。しかし、まるで史実のようなリアリティがあります。そのリアリティは、取材の丹念さと正確さに裏付けされたものです。外城田川さんは、膨大な資料を集めた後でも、執筆中に不明点が生じたら、すぐに再取材に出かけます。その姿勢が、読者に突飛な想像を自然に受け入れさせるのです。



 戦後間もない時代を描いた第2作目をはさんで、現在執筆中の第3作目では、再び歴史上の人物を扱います。

 大岡越前と徳川吉宗です。紀州藩主・吉宗が、伊勢の奉行だった大岡と、紀州藩田丸領(玉城町)で出会う物語です。

 想像の余地が大きい古代史の人物と違い、時代劇の影響で一般のイメージが固まっています。外城田川さんはそこにどんなリアリティを与えるのでしょうか。
無題
小説に登場した歴史的事件(山道を通る軍勢に脇から弓を射かけた戦闘)の現場跡で
無題
現在刊行中の著作2冊
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ホームページ 外城田川忍・公式ブログ
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登録日 令和01年9月30日

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