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みえの文化びと詳細

地域 東紀州地域
名前 矢熊 敏男

矢熊 敏男さん
矢熊 敏男さん

プロフィール 昭和21年 紀宝町神内生まれ
昭和43年 大阪工業大学建築学科卒業

 株式会社銭高組勤務を経て、昭和45年、和歌山県立新宮高等学校建設工学科教諭に就任、36年間同校で教鞭をとり、平成18年定年退職。同年読売新聞中部支社熊野通信部嘱託記者として勤務、平成19年から平成22年まで紀宝町議会議員を務める。
 定年退職後、郷土史研究に取り組む。趣味は、50歳から始めた社交ダンス、カラオケ、名所・古跡めぐりなど。

(現在の活動)
・紀宝町文化財調査委員 
・ホタルを守る会副会長
・井田海岸を守る会会員
・西村記念館を守り伝える会副会長
・「西村記念館・旧チャップマン邸の保存と活用を考える会」(仮称)設立呼びかけ人代表
・日本ダンススポーツ連盟会員
・新宮高校同窓会常任幹事

【概略】
 大学で建築工学を学んだ矢熊さんは、卒業後、大阪のゼネコン銭高組に就職しましたが、高校時代の恩師から母校の教員になることを勧められ、和歌山県立新宮高等学校建設工学科の教員になりました。在職中は建設工学科の「課題研究」で、熊野速玉大社の北側を流れる熊野川の川原町(川原に家(川原家)が建ち並び、街(川原町)を形成)に約300年にわたって続いていたと言われている、「川原家」(組立、解体が簡単な木造建築物)の研究と復元に十数年間取り組み、平成8年に「新高川原家」として特許庁に登録されました。(※)
 この研究で、平成9年に「和歌山県教育研究奨励賞」、「下中科学研究助成金賞」、平成11年に「全国工業高等学校長協会表彰」を受賞されました。在職中は野球部の部長も務め、昭和51年春、19年ぶりの甲子園出場を果たしています。後年は建設工学科長や同窓会事務局長として新宮高校の発展に尽力しました。
 平成18年3月、教員を定年退職し、読売新聞嘱託記者(平成18年11月11日全国版第1面に「駆け下りる冬・熊野風伝峠に『さぎり』」の写真と記事が採用され努力賞受賞)や紀宝町議会議員を務め、現在は、「美し国おこし・三重 パートナーグループ 神内生き活き協議会」の活動や「郷土史研究家」を目指し日々努力を重ねています。
(※)熊野誌・第44号(平成10年12月発行・新宮市立図書館)の「熊野川の新宮川原にあった川原家の集落」矢熊敏男著参照

【「神内生き活き協議会」について】
 平成19年からはじまった三重県の「きっかけづくり推進事業」に、当時議員だった矢熊さんの呼びかけで神内区が参加し、区民有志は地域の活性化等を学びました。平成21年4月に県事業「美し国おこし・三重」がスタートすると「神内生き活き協議会」としてパートナーグループ登録をし、矢熊さんは事務局の広報担当及び「守りたい郷土グループ」のリーダーに就きました。
 協議会は、紀宝町神内地区の住民で構成され、区と一体で約60名の有志の老若男女が3班に分かれ、地域の活性化を目標に多種多様な事業に取り組んでいます。「生き活き農業グループ」は月2回の朝市や特産物の研究、「いやしの里グループ」は花壇づくりや環境美化、「守りたい郷土グループ」は郷土史の研究や冊子・案内マップ等の発行など、2ヶ月に一回の全体会やグループ毎の頻繁な打ち合わせを開催し、活動を推進しています。
記事 【具体的な活動内容】
 協議会における活動の影響は、矢熊さんの郷土の歴史研究に大きく影響しました。所属する「守りたい郷土グループ」では、「神社・寺や名所・古跡の歴史や文化を探り、後世に伝え現代に生かすには、どのような取り組みが必要か」がテーマの一つと語っています。
 なかでも力を入れているのが神内地区内にある神内神社(子安の宮)です。神内地区は、熊野川河口から内陸に約6キロ入った山間の水田が広がる長閑な集落です。神内神社は川の源流下部に近い森に巨岩が御神体として鎮座しており、古くから「安産祈願の神社」としても広く信奉を集めています。
 協議会が発足した直後の平成22年、タレントのビートたけし氏が神内神社を訪れ、「たけしの教科書に載らない日本人の謎」としてTVで全国放送されました。また平成24年には、植島啓司著「日本の聖地ベスト100」において、神内神社が全国10位にランクされ、協議会の活動も一段と盛り上がりました。また、その後も頻繁に新聞や雑誌等で取り上げられるようになり、今、神内神社は静かに全国に注目されつつあります。
 最近では、熊野古道の世界遺産登録10周年と重なり、旅行会社の団体客や、小・中・高校生・大学生の団体客などが見学やお参りに訪れる機会が増え、県・市・町が企画する熊野地方を巡るツアーに、神内が盛り込まれることも多くなっています。このようなツアーの来訪者に案内、解説を積極的に担当しているのが矢熊さんです。
 
 神内への注目が集まり始めたのをきっかけとして、矢熊さんを中心とした「守りたい郷土グループ」は、平成23年、来訪者のための案内看板を紀南高校美術部と共同で制作・設置し、また翌年には「神内の名所・古跡」「神内の伝承や昔話」の小冊子も発行しています。
 平成25年秋には「美し国おこし・三重」のプレ縁博において、県公募の「神内ツアー」の実施、「神内の名所・古跡の案内マップ」の発行、「名所・古跡看板」「案内矢印」の設置などに取り組み、神内の活性化を盛り上げています。これら活発な活動には矢熊さんの「若い世代へ地域の名所・古跡を伝えよう」という世代間交流への想いがみられます。神内小学校児童による「神内の名所・古跡絵画展」、矢渕中学校生徒による「名所看板文字」、さらに地元小中学校での「出前授業」にも積極的に取り組んでいます。

 今後は、より多くの人に、海・山・川の美しい紀宝町に親しんでもらうため、解りやすく手軽に携帯できる、「紀宝町の名所・古跡の解説とマップ」や「町の伝承や昔話」などの編集に取り組みたいと矢熊さんは語っています。
 また、十数年前から、「ホタルを守る会」の会長や副会長として、地域のホタルの保護・増殖、環境保全・美化の活動に取り組み、小学校での出前授業や「ホタルまつり」「ホタルイラスト絵画展」などを例年開催しています。

 矢熊さんは、県立新宮高校を卒業し、36年間母校で教鞭をとったことから、新宮市を「第二の故郷」として深い思いを寄せていますが、特に新宮市の駅近くの伊佐田地区に建つ、「旧西村家住宅」に対しては、平成16年より「西村記念館を守り伝える会」副会長として、国の重要文化財指定への活動(安藤忠雄講演会やISAKU映画上映会等)、保存修理のための募金活動(約552万円を新宮市へ寄付)に尽力し、平成22年秋、「西村記念館」は国の重要文化財の指定を受けました。
 西村記念館は、大正4年、建築家西村伊作が自ら設計をした自邸であり、文豪佐藤春夫をはじめ与謝野鉄幹、晶子等、著名な文学者や芸術家たちが西村伊作と濃密な時間を過ごす中で、文学や芸術談義に花を咲かせたことはよく知られています。まさに日本の文学や芸術を語る上で貴重な歴史遺産でもあります。
 今、矢熊さんは、西村記念館の筋向いに建つ、西村伊作設計の「旧チャップマン邸」や、その周辺の大正時代の雰囲気が残る町並みを守ろうと、「西村記念館・旧チャップマン邸の保存と活用を考える会」(仮称)の設立への協力を市民に呼びかけています。

 田園地帯の生い茂った庭木の中に建つ矢熊さんのご自宅にお邪魔すると、家の中には義父故前川夏彦さんの水彩画と、妻朝子さんの温もりのある陶芸作品が多数飾られています。また、矢熊家のアイドル、愛くるしいチワワの親子の大歓迎も体験できます。好奇心いっぱいのクリクリした大きな目のチワワを愛おしみながら、郷土の歴史を熱く語る矢熊さんの目もまた好奇心に満ちたクリクリした目をしていました。
神内神社の境内
神内神社の境内
子供たちと史跡学習
子供たちと史跡学習
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取材機関 紀南地域活性化局
登録日 平成26年10月14日

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