みえの文化びと詳細
地域 | 東紀州地域 |
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名前 | 佐野 満智
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プロフィール | 【プロフィール】 武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科卒業 現在 紀北町にて声楽・ピアノ・コーラスの指導。 三重オペラ協会・三重新音楽家協会・三重むさしの会会員 三重県立尾鷲高等学校・三重県立松阪工業高校非常勤講師 【主な活動】 2006年オラトリオ「イザナギイザナミ」の稗田阿礼を好演 2009年モノオペラ「吉備津の釜」を初演 2010年 2011年ソロリサイタル「日本の抒情歌コンサート」−ゆうがく邸 ソロリサイタル・ジョイントコンサート・サロンコンサートをはじめ、オペラ「おこんじょうるり」「泣いた赤鬼」「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「カルメン」等に出演。 県内各地の小・中・高学校にて演奏会を行う。 また、「語り」の分野やモノオペラにも積極的に取り組む。 |
記事 |
紀北町の閑静な住宅街にある佐野さんのレッスン室をおとずれました。 伸びやかでハキハキとした声でゆっくりと丁寧にお話しになる姿は華やかさがあり、レッスン室がまるで舞台上ではないのかと感じてしまうくらいでした。 「もともとは語学に興味があり、それで高校生の時にたまたまチャレンジした、NHK杯全国高校放送コンテストのアナウンス部門でグランプリを取ったのが声楽を志したきっかけだった」 きっかけとしてはとても意外な答えが返ってきました。 「そのコンテストのおかげで、“ことば”に対する感性が自分自身に備わっている事に気づけたのだと思う。それに母は歌うのが好きな人で常に童謡や唱歌をきかせてくれ、父はとても声の美しいひとだった。そんな資質があったからこそ、自然に声楽を選んだのだと思う」 と優しくおっしゃいました。 またこの受賞をとても喜んで下さったご両親が、以前から欲しかったピアノを買って下さり、好きだった音楽の楽しさをより深く知り、声楽を勉強し始める事になったそうです。 でも、学生時代は音楽を勉強するより遊ぶのに夢中で音楽活動はしてなかったとお茶目におっしゃっていました。 それから25歳で紀北町に帰郷し、結婚、出産を経て30代後半に自分自身の音楽活動を行うことを決意されました。 「せっかく母親になったのだから子供にきかせたい歌から再スタートしようと思った。声楽家の先生にも出会いレッスンも再開するようになって、そのうち三重在住の音楽家の皆さんとの出会いもあり、オペラにも挑戦するようになった。普通の声楽家の方とは違って、声楽家として活動を本格的にやりはじめたのは遅かったと思う。その事を相談したある人に《人が一生に歌える曲数というのは決まってるのよ、あなた今まで歌ってなかったんだからこれからもっともっと歌えるわよ》といっていただき、なまけものの私には腑に落ちた言葉だった。私はきっとまだ歌えるだろうなと、これからも歌っていくだろうなと思う」 と力強く語って下さった。 普通、歳を重ねれば重ねるほど好奇心や行動力は失ってしまうものだと考えますが、佐野さんのお話しを伺ううち経験を積んだことで湧き上がる原動力があるのだと実感しました。 きっと幾つになっても佐野さんの歌いたいという気持ちは湧き上がりつづけるのでしょう。 これからの課題について伺うと、もっとオペラに挑戦したいのと日本語の美しさを知っていただくための抒情歌のコンサートを行いたいとの事でした。きっと佐野さんが一生に歌える曲数の残りというのは、まだまだたくさん残っているのでしょう。 舞台にて歌う佐野さん(オレンジ色のドレス) 舞台にて歌う佐野さん(オレンジ色のドレス) |
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取材機関 | 尾鷲県民センター |
登録日 | 平成24年8月8日 |