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みえの文化びと詳細

地域 伊賀地域
名前 中内 中(なかうち ひとし)

中内 中
中内 中(なかうち ひとし)さん

プロフィール 「堤側庵ギャラリー」オーナー
 中内組み紐工房 主宰
 組紐作家
 三重県組紐協同組合 顧問
記事 名張市新田生まれ。現在も初瀬街道沿いの生家で暮らす。生家は三代続く伊賀組紐工房。
伊賀の伝統工芸「組紐」は、名張ではお祖父様が明治時代に技術を習得し開業した。

初瀬街道沿いに佇む、伝統とモダンが絶妙に織り成す日本家屋がご自宅とギャラリー。
建て替えられる前は、街道に面した部屋には組子さんたちが寝泊りし、年じゅう人の出入りが多い。それが中内家だった。

元々、この家は人を受け入れる造りだったんでしょうね。人の出入りが多いということは文化が持ち込まれ、文化が生まれ残っていくということ。だからギャラリーを作ったのは自然の流れだったのかな。(中内さん)

自身は組紐作家。ものづくりの萌芽は幼い頃。お正月にはお父様が版画、お姉様が油絵を描くという家庭環境。

紐を組むリズムよい音色と色糸の中で育ったからね。組紐の技術は特に習ったことはなかったけれど、自然にできるんですよ(中内さん)

県立上野工業高校の当時新設されたデザイン科に入学。百貨店の意匠部など第一線から引き抜かれた先生方が揃う実践的教育が主体の学校だった。その後、浪速短期大学工芸デザイン科を卒業し、京都の象嵌メーカーへ就職。ジュエリーの制作を任され、京都のクラフトコンペで何度も受賞。しかし日本は手作りより大量生産が奨励された。

海外のものは見えないところに意匠が凝らされていたり、熟練や人の手が感じられるものづくりがされていた。20歳のときヨーロッパを見てやろうと行きましたよ。若い感性で異国の空気を感じ取った。それが血肉となってますね。(中内さん)

職人の存在価値が認められているヨーロッパ。ものづくりは徒弟制度で守られてきた部分も大きい。中内さんは保護司として青少年育成に関わる顔ももつ。

親方の姿や技術を間近に見て、ああなりたいという夢があった。けど今はそうした技術の継承が行われていない。どんな世界にも向き不向きがあるよね。例えば勉強に不向きな子がいるのに受け皿がない。興味の湧くところを用意する、やさしい社会でなければいけないでしょ。小学生に組紐を教えてるけど、嬉々として組んでいく姿を見て、うれしい気持ちと共に、いかに普段そんな機会がないのかを考えさせられる。手で覚えたことは一生忘れないし、ものづくりは感性を育むもの。好きでやることは身になるんやけどね。詰め込む教育と引き出す教育どちらも大事だから。(中内さん)

当初は自身の作品を展示する場として開いたギャラリー。今では場所、スペースの持つ引力、磁力が数々の作家さんを惹きつけて止まない。ここで展覧会をしたいという作家さんが年々増える。伊賀が生んだ世界的な現代美術家・元永定正さんもこのギャラリーがお気に入りだった。

元永先生とはたくさんの思い出がありますね。先生は「芸術をアートかどうかはアトで考える(笑)」などといつもユーモアを忘れず、しかし真髄を捉えた言葉を残してくださいました。そのときは誰にも理解されないもの、それが一世紀先には評価されるかもしれない、それは誰にもわからない。だから先入観を持たずとにかく作品を見続けることが大事と教わりました。先生は例えば人とのつきあいにもそんな目をもってらした。いいとこ探しをずっと続けられた先生です。(中内さん)

ギャラリーのオーナーになって一番うれしいのは、作家の自己主張を客観的に見られる機会を得たこと。作品そのものだけでなく、人と関わることができたことがうれしいと話す中内さん。芸術家とか作家とかそんな存在を超えたつきあいが生まれる堤側庵ギャラリー。風格ある店構えだが、どうか臆せず足を踏み入れてみてほしい。
外観
ギャラリー外観
ギャラリー玄関
ギャラリー玄関
問い合わせ先 電話:0595−65−2081(堤側庵ギャラリー)
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取材機関 伊賀県民センター
登録日 平成24年7月25日

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