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日本素描集(クロッキ・ジャポネ)  全31点


コレクション

日本素描集(クロッキ・ジャポネ)  全31点

ジャンル

版画

作者名

ビゴー、ジョルジュ
BIGOT, Georges

制作年

1886年

材料

エッチング・紙

寸法

33.5×26.0

署名

-

寄贈者

-

来歴

-

初出展覧会

-

作品名欧文

Croquis japonais (Images of Japan) (Set of Thirty-one drawings)

解説

 明治時代初期、東洋の島国日本は、欧米の人々にはきわめて珍しいものにあふれた、異境の地として写っていた。そのため、母国とは全く異なる日本の生活、習慣、風景を母国に伝えようとした外国の人々も少なくなかった。母国フランスで日本への興味を募らせて、一八八二(明治十五)年に来日した画家ジョルジュ・ビゴーもその一人である。
ビゴーは、陸軍士官学校の画学教師や新聞の挿絵画家、フランス語教師などをしながら、日本各地を旅行して当時の日本を描きとどめ、版画集として出版した。「クロッキ・ジャポネ」は、扉絵と三十枚の銅版画からなる一八八六年刊行の銅版画集。その中には、今日までの百余年の間に姿を消してしまった当時の風俗や風景が、生き生きと描写されている。懐かしさよりも好奇心を持って、これらの図を眺める現代日本人の視線や意識は、ビゴーのそれと大きく隔たるものではないと言っても誤りではないだろう。(毛利伊知郎)中日新聞2005年10月2日

 「ミイラ取りがミイラになる」という言葉があるが、明治十五年に日本を訪れた、ジョルジュ・ビゴーの半生はまさにそれである。彼は浮世絵の日本にあこがれた十九世紀末のごく普通のフランス人だった。来日した当時は二、三年滞在して浮世絵木版画の技法を習得し、パリに戻って一花咲かせようと考えていた。しかし、浮世絵の修行に行きづまり、祖国で学んだ銅板画によって、日本人の庶民生活を描いているうちに、ビゴーはその浅はかな野心を捨て去り、文明開化期の奇妙な近代国家日本を活写する事に情熱を傾けていく。彼は日本人の妻をもち、なんと十八年間、この浮世絵の国に生活することになる。「日本素描集」という版画集には、市井に生きた明治女性のありのままの姿が記録されている。 (荒屋鋪透 中日新聞 1987年8月22日)

 わが国が広く外国に門戸を開いた明治時代前半には、多くの人々がさまざまな好奇の目と心をもって、わが国を訪れた。
 フランス人ジョルジュ・ビゴーもその一人で、一八八二年(明治一五年)から十八年ほど滞在。その間に日本各地のさまざまな風俗に取材した銅版画を制作した。
 掲載の図は、「日本素描集」と題された銅版画集中の一図で、川端で涼をとる若い二人の娘が描かれているが、画家ビゴーの造形意識が画面構成などにうかがえる一図でもある。この版画集には、他にもビゴーの目に触れた当時の人々の姿や風景が収められ、そこには現代の日本からは消えうせてしまった、ゆったりとした時間の流れを見ることができる。 (毛利伊知郎 中日新聞 1992年3月6日)

 ジョルジュ・ビゴー(一八六〇 - 一九二七年)はパリ生まれの画家・銅版画家。フランスでは早くから挿絵画家として知られていた。ゾラの小説「ナナ」の初版の挿絵を担当したのは彼である。しかし、彼の名は本国よりも、むしろ日本でより著名であるといった方がよいかもしれない。
 明治十五年に来日し、同三十三年に帰国するまでの彼の日本での行状を、数年前に放映されたテレビドラマで知る人も少なくないのではないだろうか。
 ここにあげた日本的情緒にあふれた一図は、日本文化に魅せられて来日した四年後、もっとも精力的に日本風俗を描いていた時期の「日本素描集」と題する銅版画全集全三十一点のうちの一つである。 (山口泰弘 中日新聞  1987年11月21日)

展覧会歴

青い目の見た日本の情景(四日市市文化会館 1996)

文献

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