ピカソ、パブロ ぴかそ
生没年
1881-1973
出身国
スペイン
記事
ひるういんどno.65(1999.1) 桑名麻理 「パブロ・ピカソ《ふたつの裸体》(館蔵品から)」
土田真紀 ピカソ|ふたつの裸体 友の会だよりno.28 1991.11.26
土田真紀 ピカソ|ロマの女 友の会だよりno.33 1993.7.10
生田ゆき 作品解説;ピカソ《ふたつの裸体》 三重県立美術館所蔵作品選集 2003.10
ワークシート;パブロ・ピカソ 《ジプシーの女》
《ふたつの裸体》;他の作品解説
略歴
1881年 スペイン南部の港町マラガに生まれる。
1897年 マドリードのサン・フェルナンド王立アカデミーに入学したが、すぐに退学。
世紀末バルセロナの「モデルニスモ」の運動に参加。
1900年 パリへ出る。以後パリ・スペインを行き来する。
1901年 「青の時代」始まる。
1904年 パリで「洗濯船」に居を定める。
1906年 ガートルード・スタインの紹介でマチスと会う。
1907年 トロカデロ博物館でアフリカ彫刻を初めて見たといわれる。
「アヴィニョンの娘たち」に着手。
ブラックと知り合う。
1909年 秋に「洗濯船」を引き上げ、クリシー大通り11番地のアパートにアトリエを構える。
1910年 マックス・ジャコブの戯曲のためのエッチング4点を制作。
この頃、「分析的キュビスム」の様式を確立。
1912年 カーンワイラーが用意したラスバイユ大通りのアトリエへ移る。むこう3年間、カーンワイラーを唯一の契約画廊とする。
1916年 ダダの出版物『キャバレー・ヴォルテール』のために、4点のエッチングと1枚の素描を制作。
1918年 パリ、ポールギヨーム画廊で「マチス・ピカソ」展が開かれる。
1937年 「ゲルニカ」の制作。
1973年 南フランスのムージャンで死去。
館蔵作品
作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 |
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ロマの女 | 1900年 | パステル、油彩・厚紙 | 44.5×59.0 |
ふたつの裸体 | 1909年 | ドライポイント・紙 | 13.0×11.0 |