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児島虎次郎 こじまとらじろう

生没年

1881-1929

出身国

日本

記事

陰里鐵郎 児島虎次郎について 大原美術館所蔵品展 ~近代日本洋画の名作~図録 1986.4
年報2001年度版(2003.3) 収集資料の修復 Ⅲ 児島虎次郎 《日本服を着たる白耳義の少女》
田中善明 作品解説;児島虎次郎《日本服を着たる白耳義の少女》、三重県立美術館所蔵作品選集 2003.10

略歴

1881(明治14)年  岡山県川上郡下原村(現在の成羽町)に生まれる。

1904(明治37)年  東京美術学校西洋画科選科を成績優秀につき2学年を飛び級して卒業。

1907(明治40)年  東京府主催勧業博覧会美術展に出品。
            <<なさけの庭>>が一等賞を受け、宮内省買い上げとなる。
            この快挙を喜んだ大原孫三郎が5年間のヨーロッパ留学を許可。

1908(明治41)年  3月 パリに到着、黒田清輝の紹介状をもってラファエル・コランを訪ねたが、一週間ほどで辞める。
            6月 グレー村を訪ねる。この地が気に入り1年間滞在。

1909(明治42)年  7月 ベルギーのゲントに移る。
            10月、太田喜二郎の通っていたゲント美術アカデミーに通い出す。
            翌年エミール・クラウスを訪ねる。

1911(明治44)年  2月 サロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールに<<和服を着たベルギーの少女>>を初出品、入選。

1912(明治45)年  4月 ゲント美術アカデミーを主席で卒業。
            11月帰朝。日本の風土にとけ込めず、制作に苦悩する。

1919(大正8)年~21年  再渡欧、大原コレクションのための収集をはじめる。

1922(大正11)年~23年  三度目の渡欧。

1929(昭和4)年   3月  過労がたたり、死去。

館蔵作品

作品名 制作年 材料 寸法
日本服を着たる白耳義の少女 1911(明治44)年 油彩・キャンバス 81.8×65.7
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