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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 花袋も太鼓判熊野の湯の峰 カフェ日和第24回 井上隆邦

花袋も太鼓判熊野の湯の峰

井上隆邦

お気に入りの温泉の一つが湯の峰だ。熊野の山中にあり、時間があればでかけてゆく。逗留先は大概「よしのや」で、定宿といってもよい。
 湯の峰は上皇や貴人による熊野詣によって広く知られるようになったという。都を発ち、険しい熊野古道を越えてきた彼らにとって格好のオアシスだったに違いあるまい。最終目的地の一つ、熊野権現の本宮まで一里と近い。
 最近、明治の文豪、田山花袋執筆による温泉のガイドブックを入手した。百年以上も前に刊行された、当時のベストセラーだ。このガイドブックによれば、湯の峰の泉質は紀伊半島屈指とのこと。花袋の「おめがね」ならぬ「お肌」にかなったらしい。
 花袋は湯の峰に向かう途中、さんざん道に迷った挙句、宿にたどり着いている。それも夕方遅くに。熊野の奥深さは今も昔も変わりがない。
 ここでは、時間がゆっくり流れ、川のせせらぎも心地よい。森閑とした森からは、神々の囁きが聞こえてくるようで、中上健次の小説「火まつり」を思い出す。
 湯の峰の温泉街は、山峡にひっそりと佇む。宿の大半は木造で、郷愁を誘う。夕暮れ時ともなれば、温泉客の下駄の音が涼やかに響く。
「よしのや」では新緑の美しい春先や紅葉の頃、外国人観光客とよく出くわす。フランス人やドイツ人などヨーロッパ系の人が目立つ。次回こうした人たちと出会ったならば、一緒に露天にでも浸かりながら、湯の峰についての感想を聞くことにしよう。それにしても、錆びついた外国語が上手く出るか、心配だ。

(朝日新聞・三重版 9月29日掲載)

 

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