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スケール壮大―ドクメンタ探訪記―

原舞子

 

「カッセルにはもう行ったの?」「来年はベネチアだね」―。美術業界の末席を汚す私の耳にも、夏が訪れるとこのような会話が聞こえてくる。優雅なバカンスの予定ではない。海外の国際美術展を見に行くかどうかを尋ねているのである。

イタリア北東部のベネチアで隔年開催されるベネチア・ビエンナーレと、五年に一度、ドイツ中部のカッセルで開催されるドクメンタは「美術の今」を体感できる世界最高峰の国際美術展として、他を圧倒している。百聞は一見にしかず。現代美術の動向を探ろうと、十三回目のドクメンタを訪れた。

カッセルはフランクフルトから特急列車で一時間半ほどの場所にある。第二次世界大戦中、空爆により市街が破壊され、またナチス政権による迫害の記憶もとどめるこの街で、芸術による復興を目指して一九五五年から開催されてきたのがドクメンタである。今回は、ディレクターのキャロライン・クリストフ=バカルギエフのもとに国際色豊かな専門家のチームが組まれ、十分な時間と予算をかけて準備が進められた。明確なテーマは掲げられていないが、出品作品を眺めると「アラブの春」以降のイスラム社会、自然と環境破壊、科学技術と芸術の融合、歴史と記憶の読み返しといったキーワードが浮かび上がる。

世界最大級の国際美術展だけあって、とにかく会場は広大だ。主会場となる美術館を中心に、市内の公園、科学館、映画館、ホテル、中央駅などいたるところが展示場となっている。参加作家は百九十組以上に上る。無料で配布されている地図を頼りに歩き回ること二日間。それでも、すべての作品を見ることはかなわなかった。

あまたある作品の中でも、現実と夢、あるいは心の深層が交錯し、精神を揺さぶられるような作品が記憶に残った。例えば、インドを代表する女性作家ナリニ・マラニの壮大なインスタレーション(空間美術)。人間の背丈ほどもある五つの透明な円筒には東西の説話に登場する人間や動物、神々の姿が描かれている。それらが頭上で回転し、壁一面に映し出された影絵や鳴り響く音と重なり合い、善と悪、聖と俗、生と死が溶け合う混沌とした空間を生み出していた。

イスラエル出身でベルリンを拠点に活動する作家オマー・ファストの映像作品では、ドイツ人夫婦が、アフガニスタンで亡くした息子の代わりに毎回異なる帰還兵の青年を迎え入れ、食卓を囲むまでの話が繰り返される。話が巡るたびに青年たちの戦地でのトラウマ(心的外傷)、両親の喪失感や渇望が波のように押し寄せてきて、作家が作り出した虚構の世界に引きずり込まれるような危うい感覚に陥った。

カナダのジャネット・カーディフとジョージ・ビュレス・ミラーによるカッセル中央駅を舞台にした映像作品では、鑑賞者は携帯プレーヤーに映し出される映像とヘッドホンから流れる音声に従って駅構内を歩き回るよう促される。後ろで叫んでいる人物の声に驚いて振り向くと、それはヘッドホンから流れる音だったり、こちらに向かって歩いてくる人物とぶつかりそうになってよけると、実は映像の中の出来事だったりと、映像と現実が入り交じった世界に惑わされた。

このほかにも国際美術展らしい大規模な展示や大物作家の参加もあり、カッセルの街は世界中からやって来た観客でにぎわっていた。百日間の会期中、人口約二十万人の街をその何倍もの人々が訪れるという。ドクメンタという巨大展覧会のために市や州の出資による有限会社が設立されている。こう書くと町おこしの成功例のように聞こえるが、それをはるかにしのぐスケールの大きさと内容の充実ぶりがあるからこそ、ドクメンタは各地の国際美術展とは一線を画す存在なのである。

次回開催は二〇一七年の予定。五年後の美術は、世界は、どこへ向かっているのだろうか。それをわが目で確認したくて、すでに頭の中では五年先のカレンダーに印を付けている。

ドクメンタ13は、九月十六日(現地時間)まで。

(『中日新聞』 2012.8.24 夕刊掲載)

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