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年報/2011年度  
 

移動美術館 「橋本平八と北園克衛展」

 

 

2012年3月10日(土)〜3月20日(火・祝) 

 

休館日=3月14日(水)

開館時間=午前9時〜午後5時

 

会場=伊勢市立伊勢図書館2F視聴覚室

      伊勢市八日市場町13-35(JR・近鉄伊勢市駅から徒歩約15分)

      伊勢市立図書館のサイト

 

入場無料

 

主 催 三重県立美術館、三重県立美術館友の会、財団法人自治総合センター

共 催 伊勢市教育委員会

協 力 三重県立図書館、伊勢市立伊勢図書館

 

 

 

 

 

 達磨像

橋本平八

《達磨像》

1930

三重県立美術館蔵

 

 

 

 三重県立美術館では、県内各地域の文化活動に寄与することを目的に県内各地で移動美術館を開催してきました。今年度の移動美術館は、異色の芸術家兄弟として知られる彫刻家橋本平八と前衛詩人北園克衛の二人にスポットを当てて、兄弟の出身地である伊勢市で開催します。

  橋本平八は1897年に生まれ、1919年に上京して佐藤朝山に入門、1922年の第9回日本美術院展で《猫》が入選して、彫刻家として本格的な活動を開始しました。以後日本美術院展に木彫を出品、1926年には郷里に戻り制作活動を行いました。橋本平八は、大正期に奈良の古仏を研究し、また1931年には円空仏から啓示を受けるなど伝統的な造形を意識するとともに、東西の宗教や哲学、思想も研究して自己の芸術思想を確立し、個性豊かな作品によって高く評価されています。

 一方、北園克衛は、橋本平八の弟として1902年に生まれました。兄のあとを追うように上京した北園は、未来派、ダダ、構成主義などから影響を受け、昭和初期から前衛詩の分野で活動を開始します。1935年にはVOUクラブを結成し、北園は海外の詩人たちとも交流しつつ、1978(昭和53)年に亡くなるまで詩作と造形双方に及ぶ活動を展開しました。

 二人の活動は近年注目を集めています。今回の移動美術館では橋本平八の彫刻や絵画、北園克衛の著作等によって二人の芸術を紹介します。

北園克衛『天の手袋』1933

北園克衛

『天の手袋』

1933

三重県立美術館蔵

 

 

 

移動美術館2012伊勢_会場1   移動美術館2012伊勢_会場2
     
移動美術館2012伊勢_会場3   移動美術館2012伊勢_会場4
     
移動美術館2012伊勢_会場5    

 

「橋本平八と北園克衛」、パンフレットより

 

出品リスト(予定)

 

橋本平八

作者名 作品名 制作年 寸法 材質 所蔵
橋本平八  猫 A 1922(大正11)年 35.0×22.5×12.0 ブロンズ 三重県立美術館蔵
橋本平八 猫 A  1922(大正11)年 35.0×23.0×13.0 三重県立美術館蔵
橋本平八 馬鳴尊者 1925(大正14)年 35.5×12.0×4.5 三重県立美術館蔵
橋本平八 老子 A 1925(大正14)年 35.5×16.5×11.0 三重県立美術館蔵
橋本平八 弁財天 1927(昭和2)年 29.0×21.5×19.0 三重県立美術館蔵
橋本平八 石に就て 附 原石 1928(昭和3)年 28.6×18.0×19.5 個人蔵
橋本平八 達磨像 1930(昭和5)年 73.0×25.0×21.0 木、彩色 三重県立美術館蔵
橋本平八 老子 B 1932(昭和7)年 30.0×29.0×19.5 三重県立美術館蔵
橋本平八 弱法師 1934(昭和9)年 38.0×14.0×19.5 三重県立美術館蔵
橋本平八 達磨 1934(昭和9)年 15.5×12.0×10.0 三重県立美術館蔵
橋本平八 俳聖一茶 1935(昭和10)年 27.0×24.5×14.0 三重県立美術館蔵
橋本平八 老子 不詳 21.0×11.5×9.0 三重県立美術館蔵
橋本平八  達磨立像  不詳  40.5×15.0×11.0  木 

伊勢市教育委員会蔵 

橋本平八 少女立像下図(童女震撼) 1924(大正13)年 36.1×27.0 淡彩・紙 個人
橋本平八 キュラソーの壺 1926(大正15)年 33.3×24.4 淡彩・紙 個人
橋本平八 魚籃観音像下図 1928(昭和3)年 32.8×24.1 淡彩・紙 個人
橋本平八 少女 不詳 40.2×28.2 淡彩・紙 個人
橋本平八 自画像 不詳 38.2×28.8 淡彩・紙 個人
橋本平八 霊獣 不詳 20.0×33.3 淡彩・紙 個人
           
  『純粋彫刻論』 1942(昭和17)年     三重県立美術館蔵

 ※展示作品は変更される場合があります。 

 

北園克衛 

作者名 作品名 制作年   寸法 材質 所蔵
北園克衛 『天の手袋』 1933(昭和8)年 春秋書房     三重県立美術館蔵
北園克衛 『MA PETITE MAISON』 1933(昭和8)年 芝書店     三重県立美術館蔵
北園克衛訳 『LES PETITES JUSUTES』 1933(昭和8)年 ラベ書店     三重県立美術館蔵
北園克衛訳 『恋の唄』 1934(昭和9)年 ボン書房     三重県立美術館蔵
北園克衛 『鯤』 1936(昭和11)年 民族社     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
北園克衛 『夏の手紙』 1937(昭和12)年 アオイ書房     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
北園克衛 『サボテン島』 1938(昭和13)年 アオイ書房     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
北園克衛 『火の菫』 1939(昭和14)年 昭森社     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
北園克衛構成 村野四郎『體操詩集』 1939(昭和14)年 アオイ書房     三重県立美術館蔵
北園克衛 『ハイブラウの噴水』 1941(昭和16)年 昭森社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『固い卵』 1941(昭和16)年 文藝汎論社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『風土』 1943(昭和18)年 昭森社     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
北園克衛 『郷土詩論』 1944(昭和19)年 昭森社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『黒い火』 1951(昭和26)年 昭森社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『若いコロニイ』 1953(昭和28)年 國文社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『黄いろい楕円』 1953(昭和28)年 宝文館     三重県立図書館蔵
北園克衛 『火の頬』 1953(昭和28)年 白水社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『真昼のレモン』 1954(昭和29)年 昭森社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『ヴィナスの貝殻』 1955(昭和30)年 國文社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『ガラスの口髭』 1956(昭和31)年 國文社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『青い距離』 1958(昭和33)年 パピルス・プレス     三重県立図書館蔵
北園克衛 『家』 1959(昭和34)年 昭森社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『煙の直線』 1959(昭和34)年 國文社     三重県立図書館蔵
北園克衛 『黒い招待券』 1964(昭和39)年 MIRA CENTER     三重県立図書館蔵
北園克衛 『空気の箱』 1966(昭和41)年 VOUクラブ     三重県立図書館蔵
北園克衛 『moonlight night in a bag』 1966(昭和41)年 VOU     三重県立図書館蔵
北園克衛 『白の断片』 1973(昭和48)年 VOU     三重県立図書館蔵
北園克衛 『BLUE』 1979(昭和54)年 EDITIONS VOU     三重県立図書館蔵
  『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(復刻版)

原本:1924(大正13)〜

1925(大正14)年

原本:エポック社     三重県立美術館蔵
  『マヴォ』5〜7号(復刻版) 原本:1925(大正14)年 原本:長隆舎書店     三重県立美術館蔵
  『薔薇魔術学説』(復刻版) 原本:1927(昭和2)年〜1928(昭和3)年 原本:薔薇・魔術・学説・盟社     三重県立美術館蔵
  『衣装の太陽』(復刻版) 原本:1928(昭和3)年〜1929(昭和4)年 原本:L・E・S社     三重県立美術館蔵
  『VOU』 1935(昭和10)年 VOU発行所、他     三重県立図書館、三重県立美術館蔵
  『新技術』31〜37号 1940(昭和15)年〜1942(昭和17)年 VOUクラブ     三重県立美術館蔵
北園克衛 平八像 1930(昭和5)年頃 墨・紙     個人蔵

 ※展示作品は変更される場合があります。

 

 橋本平八・略年譜 

1897(明治30)年

10月17日、三重県度会郡四郷村大字朝熊屋敷(現・伊勢市朝熊町)で、橋本安吉・ゑいの長男として誕

生。

1904(明治37)年 4月、度会郡朝熊尋常小学校尋常科に入学。
1908(明治41)年 4月、度会郡四郷尋常高等小学校高等科に入学。
1910(明治43)年 3月、同校卒業。
1912(明治45)年

宇治山田市常盤町の森政雄から植物生態学、果樹園芸学等を学ぶ。また、気賀菊郎からミレー、ゴッ

ホらについて教えを受ける。

1915(大正4)年 3月頃、宇治山田市の彫刻家三宅正直から彫刻技術を学ぶ。
この頃、ロダンを知る。
1917(大正6)年 4月、度会郡浜郷尋常高等小学校の教員となる。
1918(大正7)年 10月、家事都合により教員を退職。
1919(大正8)年 4月、再び度会郡浜郷尋常高等小学校の教員となる。
8月、病気を理由に教員を退職し、翌月上京する。
11月、伊勢出身の池田敬八の紹介で内閣印刷局臨時雇として勤める。
1920(大正9)年 4月、印刷局を退職し、佐藤朝山の内弟子となり馬込の朝山宅に住む。
1922(大正11)年 9月、日本美術院再興第9回展覧会に《猫》を出品。
この年、日本美術院研究会員となり、彫刻部研究室に通う。
1923(大正12)年 9月、日本美術院再興第10回展覧会に《鷲》を出品。
11月、北園克衛とともに帰郷、その後奈良市外都跡村に滞在して奈良周辺の仏像等を研究。
1924(大正13)年 9月、日本美術院再興第11回展覧会に《猫》を出品。
この年、日本美術院院友となる。この頃、7日間の断食を行う。
1925(大正14)年 9月、日本美術院再興第12回展覧会に《少女立像》を出品。
11月、両親妹の肖像を描く。
この年、北園克衛とともに東京府世田谷町太子堂105に住む。
1926(大正15)年 9月、日本美術院再興第13回展覧会に《成女身》を出品。
10月、帰郷して、12月に角前千代と結婚。
1927(昭和2)年 9月、日本美術院再興第14回展覧会に《裸形少年像》を出品。
この年、日本美術院同人となる。
1928(昭和3)年 3月、日本美術院第13回試作展覧会に《三十六歌仙其ノ一》を出品。
9月、日本美術院再興第15回展覧会に《石に就て》を出品。
1929(昭和4)年 3月、日本美術院第14回試作展覧会に《弱法師》を出品。
1930(昭和5)年 5月、聖徳太子奉讃記念展覧会に《奢掲羅府の頃の那迦犀那》を出品。
春、「橋本平八秘画展覧会」開催。
9月、日本美術院再興第17回展覧会に《花園に遊ぶ天女》を出品。
1931(昭和6)年

9月、日本美術院再興第18回展覧会 に《幼児表情》を出品。
10月4日、岐阜県高山に行き、飛騨地方の原始林を見る。また、千光寺の円空仏に感銘を受ける。以後

、円空仏の収集を始める。

1932(昭和7)年 3月、飛騨から円空仏が平八に届く。
7月、それまでの習作全点を破棄。
9月、日本美術院再興第19回展覧会に《アナンガランガのムギリ像》を出品。
1933(昭和8)年 3月、日本美術院第18回試作展覧会に《蟇》を出品。
9月、著作集の書名を『純粋彫刻論』に決定。
1934(昭和9)年 3月、自宅にアトリエを建築。
4月、大礼記念京都美術館開館記念京都市美術展に《或日の少女》を出品。
9月、日本美術院再興第21回展覧会に《牛》を出品。
11月、名古屋市美術展覧会に《兎》を出品。
1935(昭和10)年 6月、帝国美術院展覧会規則で無鑑査に指定される。
9月、日本美術院再興第22回展覧会に《鷹》を出品。
11月、名古屋市美術展覧会に《群猿》を出品。
11月1日、脳溢血のため死去。

 

 北園克衛・略年譜 

1902(明治35)年 10月29日、現在の伊勢市朝熊町で橋本安吉・ゑいの次男として誕生。本名、橋本健吉。
1918(大正7)年 3月、宇治山田市立商業学校卒業。
1920(大正9)年 4月、上京。中央大学専門部経済学科に入学。
1923(大正12)年 11月、兄とともに帰郷。その後、奈良市外都跡村の借家で兄と暮らす。
1924(大正13)年 春、再び上京し、玉村善之助(方久斗)の家で野川孟・野川隆兄弟と出会う。
1925(大正14)年 1月、『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』2年1集より編輯を行う。
この年、東京府世田ヶ谷町太子堂105で兄と同居。
1926(大正15)年 5月、単位三科のメンバーとなる。
魔術主義劇場第1回発表会を開催。
1927(昭和2)年 6月、三科形成芸術展覧会に絵画作品を出品。
11月、『薔薇・魔術・学説』の 創刊同人となる。
1928(昭和3)年 1月、上田敏雄、上田保と連名でシュルレアリスムのマニフェスト「A NOTE  DECEMBER 1927」を発表。
7月、北園克衛というペンネームを使い始める。
11月、『衣裳の太陽』の創刊同人となる。
1929(昭和4)年 6月、第一詩集『白のアルバム』(厚生閣書店)を刊行。
1930(昭和5)年 7月、『L’ESPRIT NOUVEAU』創刊、田邊茂一とともに編輯を行う。
1932(昭和7)年 5月、岩本修蔵らとアルクイユのクラブを結成し、『MADAME BLANCHE』を創刊。
8月、詩集『若いコロニイ』(ボン書店)を刊行。
9月、第19回二科展に《晝の假設》が入選。
1933(昭和8)年 7月、詩集『MA PETITE MAISON』(芝書店)、訳詩集『LES PETITES JUSTES』(ラベ書店)、『天の手袋』(春秋書房)を刊行。
 8月、小林栄と結婚する。
10月、詩集『圓錘詩集』(ボン書店)を刊行。
1934(昭和9)年 5月、第6回第一美術協会展に《海の背景》を出品。
1935(昭和10)年 5月、日本歯科医学専門学校(日本歯科大学)に職を得る。
7月、VOUクラブを結成し、機関誌『VOU』を創刊。
1936(昭和11)年 4月、詩人エズラ・パウンドとのとの文通が始まる。   
8月、詩集『鯤』(民族社)を刊行。
1937(昭和12)年  9月、詩集『夏の手紙』(アオイ書房)を刊行。 
1938(昭和13)年  11月、詩集『サボテン島』(アオイ書房)を刊行。
この頃から、海外の詩誌で紹介されるようになる。 
1939(昭和14)年  12月、詩集『火の菫』(昭森社)を刊行。 
1941(昭和16)年  2月、評論集『ハイブラウの噴水』(昭森社)を刊行。
4月、詩集『固い卵』(文藝汎論社)を刊行。 
1942(昭和17)年  5月、日本文学報国会詩部の幹事 となる。
6月、平八の遺稿集『純粋彫刻論』 (昭森社)を編集、刊行。 
1943(昭和18)年  1月、詩集『風土』(昭森社)を刊行。 
1944(昭和19)年  9月、評論集『ク土詩論』(昭森社) を刊行。 
1945(昭和20)年  6月、妻子のいる三条市へ疎開。
8月、終戦の翌日、帰京。 
1950(昭和25)年  二科会理論部の会員となる。 
1951(昭和23)年  4月、詩集『砂の鶯』(協立書店) を刊行。
7月、詩集『黒い火』(昭森社)  を刊行。 
1953(昭和28)年  3月、若いVOUクラブ員の詩誌として『青ガラス』を創刊。
7月、『若いコロニイ』(國文社) を刊行。
9月、評論集『黄いろい楕圓』(宝 文館)を刊行。
12月、ラディゲ訳詩集『火の頬』(白水社) を刊行。 
1954(昭和29)年  4月、詩集『眞晝のレモン』(昭森社)を刊行。
この年、英文詩集『Black Rain』(Divers Press)を刊行。 
1955(昭和30)年  1月、詩集『ヴィナスの貝殻』(國文社)を刊行。 
1956(昭和31)年 2月、第1回VOU形象展を開催、 詩と彫刻を出品する。
9月、詩集『ガラスの口髭』(國文社)を刊行。
12月、『VOU』53号以降、写真作品を継続して発表。 
1958(昭和33)年  4月、第8回モダンアート展に写真を出品。
8月、詩集『青い距離』(パピルス・プレス)を刊行。
この年、前衛詩人協会会長となる。 
1959(昭和34)年  2月、詩集『煙の直線』(國文社)を刊行。
6月、詩集『家』(昭森社)を刊行。 
1960(昭和35)年  5月、前衛詩人協会の会合で8mmフィルム作品を発表。 
1963(昭和38)年  9月、白水社の〈新しい世界の文学シリーズ〉の装幀を始める。 
1964(昭和39)年  2月、短編集『黒い招待券』(MIRA CENTER)を刊行。
10月、ヨーロッパ、アメリカへ旅行。 
1965(昭和40)年  6月、詩集『眼鏡の中の幽霊』(プレス・ビブリオマーヌ)を刊行。
早川書房の書籍の表紙装幀を始める。 
1966(昭和41)年  3月、詩集『空気の箱』(VOUクラブ)を刊行。
この年、造型詩集『moonlight night in a bag』(Editions VOU)を刊行。 
1970(昭和45)年  3月、亀山巌らと古川柳雑誌『ひるご』を刊行。 
1973(昭和48)年  3月、詩集『白の断片』(VOU)を刊行。 
1976(昭和51)年  4月、ハヤカワ・ミステリ文庫の装幀を始める。 
1978(昭和53)年  6月6日、肺がんのため死去。 
1979(昭和54)年  4月、造型詩集『Study of man  by man』(Edizioni Factitum-Art)が刊行される。
6月、藤富保男編集による詩集『BLUE』(Editions VOU)が刊行される。 

 

 

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