一見地味、でも自己主張の黒
井上隆邦
文楽の人形遣い「黒衣」は、その名の通り黒い衣装をまとっている。無論、文楽での主役は人形なのだが、「黒衣」が単なる裏方かと云えば、そうとも限らない。舞台での存在感が凄い。特に心中もののクライマックスでは、その優美にして的確な所作が観客を魅了する。隠れているようで、隠れていないその二面性は黒ずくめの衣装だから可能なのであろう。
黒ずくめといえ云えば、「業界人」にもこの手の人は多い。この六月に開催された現代美術の祭典、第五十四回ベネチア・ビエンナーレで見かけた美術関係者の多くも黒い服を着ていた。
彼らが黒い服を着用するのは、それなりの理由がある。作品の前に佇んだ時、黒い服であれば、作品に集中し易い。「色物」をまとっていると、展示作品の色彩を干渉しかねず、鑑賞の妨げになりかねない。
こうした実利的な理由がある半面、黒い服を着用することで美術関係者はその道の専門家であることをそれとなく示唆する。その姿格好で「業界人」とわかる。
過日、お目にかかったZUCCAのデザイナーだった小野塚秋良さんのスーツも、印象に残っている。遠目には黒一色に見えるのだが、近づくと細部が違っていた。スーツの襟とズボンのサイドラインには光沢のある黒いストライプが施されていて、意表をつかれた。うっすら生えた白髪混じりのあごひげとスーツが見事に調和していた。実に心憎い演出だ。
黒という色は一見地味だが、自己主張もする。多面的であり、二律背反的な時もある。うまく扱えば、これほど魅力を発揮する色もない。実に奥が深い。
(朝日新聞・三重版 2011年12月10日掲載)