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柳原義達 《黒人の女》 1956年

 柳原義達(1910-2004)

黒人の女

1956(昭和31)年 

ブロンズ

64.0×22.5×20.0cm  

 

 一九五一(昭和二十六)年、東京で「サロン・ド・メ」展が開かれると、戦後初めてのフランス現代美術に人々は大いに沸き、柳原もその中にいた。しかし、彼の心を占めたのはむしろ焦燥感のほうで、翌々年、彫刻を再び勉強しようとフランス行きを決心、四十三歳で海を渡った。
 四年の滞在は、彫刻家としての柳原の内的必然を根元から揺さぶった。ジャコメッティやセザールらと語り、イタリアの作家たちの作品を見る。答えを探し続ける中で「黒人の女」は制作された。
 本作の魅力は、何よりもまず「立つことの美しさ」にある。それは、高村光太郎を通じてロダンやブルーデルの精神を受け継いだ柳原が、彫刻に最初に求めたものである。しかし、いま一度本作をよく見れば、その美しさが、それまでにはないある種の厳しさによって実現されていることに気付く。
 重力にあらがい、空虚にとどまり続ける量感の胴体、その不確かな存在を確かにしようとする二本の脚の厳しい役目。この脚は、空間に存在することの厳しさを追求したジャコメッティの造形精神からやってきたのだろう。そして、この脚から、柳原は彫刻の本質へと再出発した。(桑名麻理 2000年4月6日中日新聞)

 

 


 

 

 右手を腹部に、左手を背中にまわして立つ短髪の黒人女性像で、腰をやや右にふり、前後に足を開いて立つ姿には十分な奥行が与えられ、人体のもつ美しいかたちと微妙バランスが、細部にこだわらない大きな量塊の中に表現されている。
 作者の柳原義達は、戦後のわが国の具象彫刻界を代表する作家の一人。アンという名のアフリカ生まれの娘をモデルに、パリ滞在中に制作されたこの「黒人の女」は、「赤毛の女」など他の滞欧作と共に、柳原の出発点をなす作品の一つである。
 柳原は、幼いときから芸術に理解の深い環境に育ち、一度は日本画を志したが、ブールデルの作品写真をみて強い影響を受け彫刻に転向し、戦後四〇歳を過ぎてからパリに留学して、ロダンやブールデルの彫刻理念を学んだ。
 柳原の作品では、一九六〇年代以降の鴉や鳩を題材にした「道標」の連作がよく知られているが、掲載作品のような初期の人物像からは、対象の量塊がもっている力に肉薄しようとする強い意識を読み取ることができる。(毛利伊知郎)サンケイ1990年3月11日

 

 

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