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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 藤田嗣治 《猫のいる自画像》 1927年頃 解説

藤田嗣治 《猫のいる自画像》 1927年頃

 藤田嗣治(1886-1968)

猫のいる自画像

1927(昭和2)年頃 

油彩・キャンバス

54.3×45.5cm  


 藤田の絵は一目見ただけでそれと分かる明確なスタイルを持っているが、その特徴がどこにあるかは、例えば彼が長く住んでいたフランスなどの外国で、他の画家と並んで展示されたような場合に最も鮮やかに目に映ってくるような気がする。
 自分の体質をその限界まで見抜き、しかし、その体質に根差した絵画のシステムを樹立すること。
その時、初めて生まれる個性的と呼ぶに足る絵を自分だけではなく、周囲の画家たちがともに認めて「フジタ」が誕生することになったのは、日本ではなくパリだったからである。
 そして、そういう風にして生まれた彼の油絵は、なんと日本の水墨画に似ることになったのであろうか。
彼は言っている。
 「当時の絵はやたらに絵の具を使う。しかし、自分はそれと反対に極小の絵の具を滑らかに使って生かすようにしよう。色もあまり沢山(たくさん)使わずに主として白と黒で、これも大きい刷毛(はけ)のような筆の代わりに、しんかきの筆で油絵を書いてみよう」
 宋磁を思わせるような藤田の白は、かくして画面を覆う肌でありつつ、そこに何もない「余白」となったのである。(東俊郎 2000年1月27日中日新聞) 


 

 同じ題材を繰り返し取り上げることは、藤田嗣治に限ったことではないが、この絵などもそうだろう。
例えば、なれなれしくのどをすりつける上目づかいの猫。
あるいは一九一三年の渡仏以来、変わることのないおかっぱ頭と丸眼鏡だけで、他のだれとも間違えようのないその自画像。
そして、何より苦心を重ねて生み出されたという、軟らかでありながら秋の空気の冷たさを兼ね備えたその乳白色の絵肌。
 こういう絵は何度も繰り返し見たほうがいい。
確かにそこにあるのに、なかなか気付かないものにそのうち目がいくからである。そういえば、藤田が描く人物は目、鼻、口と順序よく描くわけではないと語っていたな、と思い出すのも、そんなときではないか。
 「もっとも強く自分の興味を持ったところから始める故、既にその部分だけ出来ていても絵は大半を完成して得る訳となる。自然に延長していく方向は、自由になるままにまかせて行くのである。単にアンスピレーションのわいて来るのを待ち、絵に着手をただ気長に待つということより、興味をわかして物をインテレストすることが最も肝心である。面白みを感じ、描く対象の一筆を下せば、絵は運ばれて行くのである」(「腕一本」) (東俊郎)中日新聞2001年10月18日 

  

 

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