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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 増山雪斎 《百合に猫図》 解説

増山雪斎 《百合に猫図》

 増山雪斎(1754-1819)

百合に猫図

制作年不詳 

絹本墨画着色

103×32.7cm

   

増山雪斎《百合に猫図》

 

 増山雪斎は、伊勢地方の最北、木曽川と揖斐川に挟まれた地、長島を治めた大名であった。一七五四年に生まれ、一七七六年には家督を継いで長島藩主となったが、一八〇一年には引退して、江戸で悠々自適、風流ざんまいの生活を送った。
 雪斎は、こうした生涯が示すように、為政者という表看板のほかに文人というもうひとつの顔で当時から著名な人物であった。大阪の酒造家で文人、好事家として有名な木村兼葭堂などとの身分制の枠を越えた親しい交友は、近代を間近にひかえた当時の新しい社会的状況を示す好例である。
 雪斎は茶、詩、その他文雅に秀でた多趣味の文人であったが、絵画、ことに花鳥画の分野に力量を発揮した。
 雪斎の花鳥画は、華麗な設色と写実的な形態描写に特徴がある。
 思わず触ってみたくなるような猫の柔らかい毛、百合の鮮麗な色彩と、たしかな形態把握、しなやかな葉など、ここにも雪斎の洗練された感覚が遺憾なくあらわれている。 (山口泰弘 中日新聞 1989年12月9日) 


 

 十八世紀後半に活躍した伊勢長島藩主・増山雪斎は、多くの文化人たちと親交を結び、また自身も書画に巧みな文人大名として知られている。
 画家としての雪斎は、南画風の山水図や人物図も数多く描いたが、その画技と感性が最も現れているのが、この「百合と猫図」のような花鳥図である。
 こうした作品の背景には、当時、わが国で流行していた中国の画家沈南頻、宗紫岩の濃密な着彩による花鳥表現の存在が想定できる。
 また、雪斎には身近の昆虫や小動物を克明に描写した写生帖(ちょう)が伝存し、彼が科学的精神もあわせ持っていたことが知られる。
 虚構と現実が混在した幻想的な雰囲気をたたえた雪斎の花鳥画は、そうした現実に対する透徹した観察力と中国趣味との統合から生み出された結果ということができる。 (毛利伊知郎 中日新聞 1997年7月11日掲載) 


 三重とかかわりの深い近世画家の一人に、今回取り上げた増山雪斎を挙げることができる。とはいえ、雪斎は、職業として絵をかいていたわけではない。
 雪斎は伊勢長島藩藩主であった。そして、書画ばかりではなく、詩文や茶などに秀でていた雪斎の周りには、当時の代表的な文化人が多く集っていた。
 さて、この「百合に猫図」は、百合の鮮やかな色彩と猫の柔らかな毛並みの表現、そして的確な形態把握が特徴的である。雪斎が活躍した江戸時代の後半は西洋絵画の影響を受けて、現実的な絵画が流行する。粉本をもとに制作された絵を見慣れていた当時の人々にとって、写実的な作品が与えた驚きは計り知れない。
 百合、猫などを写実的にとらえようとする一方で、それらのモチーフを太湖石とともに描くという常套(じょうとう)的な手法を併用した画面は、既に写実的な絵画を見慣れたわれわれをも魅了する。 (佐藤美貴 中日新聞 1999年7月8日掲載)

 

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