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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 小出楢重 《パリ・ソンムラールの宿》 1922年 解説

小出楢重 《パリ・ソンムラールの宿》 1922年

小出楢重(1887-1931)

パリ・ソンムラールの宿

1922(大正11)年 

油彩・板

51.5×44.5cm 

 

 小出楢重 《パリ・ソンムラールの宿》 1922

 小出楢重がわずか半年ほどの滞仏期間に制作した数少ない油彩の一つで、彼が滞在していたパリ・ソンムラール街のホテルからの光景である。
 画面構成の上で、しばしば重要な役割を果たす<窓>を巧みに利用して、小出はきわめて独創的な絵画空間を生み出している。窓が切り取る平面と、その奥に展開する奥行きのあるしかし閉じられた空間。パリの典型的な都市風景を、小出は緊張をはらんだ構図に作り上げている。
 窓枠、街路および建物の垂直線と斜めの線の拮抗(きっこう)。これら直線に、さらに窓の唐草模様の手すりの曲線を組み合わせるやり方は見事である。この構図は、実際の風景に基づいてはいるが、それでいて、現実とは異なる絵画空間独自の秩序を有しているのである。
 小出の独自性は、これまでしばしば関西の風土と結び付けて語られてきた。しかし彼の本質は、そうした風土論を超えて、日本近代の油彩画において、きわめて正統なやり方で、絵画空間のオリジナリティーを追求した数少ない優れた画家の一人であるという点にこそあると思われる。 (土田真紀 中日新聞 1990年12月28日) 


 捜してみると、窓を描いた絵は意外に多い。室内空間と、外に広がる空間とをつなぐ窓。そして、鑑賞するわれわれにとっても、絵の中に窓があれば、まるでその場に居るような錯覚をおこす、不思議な装置である。
 窓といえば、マチスやボナールの絵をすぐ思い浮かべるが、日本人画家の手になる窓の絵にもいいものがある。たとえば、萬鉄五郎が描いた窓の絵は、渋い調子に筆のかすれをきかせた逸品で、それと対極をなすのがつややかで伸びのある小出の窓である。
 小出が窓を描いたとき、おそらくマチスの窓の絵を意識したであろう。フランス滞在中に描いたもう一つの窓の絵は、色彩から配置までマチスの香りがする。一方、このソンムラールの窓は、フランスの雰囲気に接して間もない小出がこの国の文化をじっくり味わおうとしているかのように、眼前にあるものを忠実に描いている。 (田中善明 中日新聞 1997年6月13日) 


 小出楢重はけっして夭折の画家ではなかった。明治20年(1887)に生まれ、昭和6年(1931)に没する。ときに44歳。量的にも質的にもみるべき十分の作品は残している。いや、その残された作品、とくに晩年のそれゆえに死ぬには早すぎ、まだまだ生きていてほしかったとおもう数少ない一人なのだ。
 たとえば少年時代のデッサンなどをみても、小出の描写力は群を抜いて、素質の良さはだれの目にもあきらかだが、そういった「うまさ」に満足せず、もったいないけど惜しげもなく捨ててゆくことが彼の画業のあゆみであった。
 こういう人にとって外国、とりわけフランス留学はどういう意味をもっていたのか。大正10年(1921)、パリの止宿先のホテルの窓からみえる風景をかいたこの「パリ・ソンムラールの宿」をいくら眺めても、それは謎にとどまる。結局、小出は約半年しかフランスにいなかった。これは異例の短さである。(学芸員・東俊郎)サンケイ新聞1988年9月18日 


 窓から外を眺めると、普通に景色を前にした時以上に、景観が、奥行きを感じさせるような場合があるかもしれない。これは、窓がいったんクッションとなるからだろう。
 この画面でも、左端の暗い縦の帯を起点に、空間はジグザグ状に奥へと後退していく。色調が、ほぼグレーと褐色に限定されているのも、空間構成の明快さを破らないでおくためだろう。そんな中、欄干のうねるような模様や、右端のカーテンの縁飾りらしきものがアクセントをなしている。
 他方、筆致は、極めて素早いものだ。それでいて、支持体である板の堅さを確かめるかのような絵具の置き方は、構成の堅固さを弛緩させることなく、空間に生気を吹き込むことだろう。(石崎勝基 1999年9月2日中日新聞)

 

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