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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 児島善三郎 《箱根》 1938年 解説

児島善三郎 《箱根》 1938年

児島善三郎(1893-1962)

箱根

1938(昭和13)年 

油彩・キャンバス

131×163cm 

 

 福岡県にあった紙問屋の長男として生まれた児島は、少年時代から絵画に熱中し、父の反対を押し切って、実業を継がず、上京して二科展でめざましい活躍を行うようになる。
 大正一四年、門司港から鹿児丸に乗船してフランスへ向かった三十二歳の児島は、パリで油絵の勉強を初めからやり直す覚悟であったという。ヨーロッパ滞在中には、フランス各地はもとより、ベルギー、ドイツ、スペインなどを旅行して見聞を広めた。
 留学の期間、ヴラマンクらのフォービスムの影響を受け、量感のある裸婦や爽やかな風景を描いている。
 こうした経歴をもつ児島が琳派などの日本の伝統的美術を踏まえて、独自の油彩画を描き始めたのは、昭和五年頃である。とりわけ、昭和十年代にはいってからは、琳派風の線描を生かした華やかな作風に変貌する。
 西洋の油彩画と日本の美意識との豊かな混交。これが児島が狙った究極の油絵であったにちがいない。この「箱根」は、そうした児島の個性的な作風を示す大作である。(中谷伸生)サンケイ新聞1992年2月2日 


 まっ青な空に突き上げる秋色の双子嶽、おおらかにしかもダイナミックに生動する屋根や樹々。そして青く映える湖水。この絵の制作にあたって児島善三郎(1893-1962)は「晩秋初冬のころで、それらの山々の枯れ草の色が青空に映え、中景には旧御用邸跡の半島が芦の湖の碧水に浮かぶ。ここは箱根山中の最も景色のいい所であるが、私はその雄大な感じを何とか絵に表したいと思い、思い切った表現も試みた。」と語っているが、双子嶽の与える圧倒的な量感、山々の茶、空と湖の青、樹々の緑の見事に調和した装飾的効果は、遠く桃山時代の豪壮雄大な障壁画のそれを想起させるかも知れない。あるいは、大きくうねるリズミカルな描線、山、樹々、湖、家屋といったモチーフから構築された空間の深みに南画、さらには古い東洋の山水画の世界をオーバーラップさせる人も少なくないことだろう。
 昭和3年、フランスから帰国した児島は、昭和6年の独立美術協会結成からしばらくすると、やがて、マチス、ドランなどフォーヴィズムの影響を色濃く受けながら日本人の感性の上に立った日本人の油絵の創造に向かいはじめる。児島をはじめ、ルノワールを土台に桃山美術や琳派あるいは南画の様式を溶き合わせて自らの様式を造りあげた梅原龍三郎、ピサロやセザンヌから出ながら東洋画のもつ描線の機能に目を開かれていった安井曾太郎などにみられるように、後期印象派以降の流れを吸収消化し、西洋絵画の単なる模倣から離れて日本的な様式観や感性に従った固有の洋画が現れた時期が昭和前期にあたる。この時期はまた、明治・大正にわたる近代洋画にひとつの決算が与えられた時期といえる。(山口泰弘)125の作品・三重県立美術館所蔵品 1992年

 

 

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