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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 月僊 《東方朔図》 解説

月僊 《東方朔図》

 月僊(1721-1809)

東方朔図

制作年不詳 

絹本着色

109.7×62.5cm 

 月僊 《東方朔図》

 

 伊勢古市・寂照寺の画僧月僊(一七四一-一八〇九)の名は、この地方ではよく知られているが、その絵画史上の功績については、必ずしも十分に理解されていない。
 彼は、もともと円山応挙や与謝蕪村の影響を強く受け、円山四条派の温雅な絵画表現を基調として自己のスタイルを確立した。
 しかし、月僊は室町絵画や中国画なども貪欲(どんよく)に研究し、当時の最先端技術であった西洋絵画にも強い関心を示した。
 それは、江戸の洋風画家・司馬江漢が伊勢に立ち寄った際、酒食をもてなして、西洋画法の伝授を乞(こ)う月僊を煩わしく思った江漢が逃げ出したという逸話からもうかがえる。
 掲載の「東方朔図」は、制作年代は不明ながら、小品が多い月僊画としてば大作に属し、しかも洋風表現が試みられた貴重な作品。
 人物の容ぼうに見られる陰影表現や、写実的な果実・樹葉の描写は、西洋絵画の表現を強く意識している。
 こうした表現には、目で見たものをありのままに描き出すという、実用技術としての絵画技法に対する月僊の強い憧憬(しょうけい)が込められている。(毛利伊知郎 2000年7月27日中日新聞)

 


 

 熟した桃をもぎとろうとして、あたりをうかがう人物。ここに描かれた主題は、東方朔(とうぼうさく)という中国の仙人である。
 桃は、仙果といわれ、不老長寿をもたらす。東方朔は、西王母という仙人の仙桃を盗んで食べ、仙術を得て、800歳の長寿を得たという。古来、めでたい主題としてしばしば描かれる。西王母と対にして描かれることも希ではない。
 作者の月僊(1741-1809)は、浄土宗の僧侶で、江戸時代後期の最も著名な画僧のひとりにあげられる。江戸や京都で仏教と絵画を修めたあと、30歳を過ぎて、伊勢の寂照寺の住持になった。
 月僊は、はじめ同音の“月仙”と称していたが、その後“月僊”と改め、さらに“月●(せん)”と変えた。これは、彼の作品の編年にはきわめて便利で、この作品なども、“月僊”の字を使っていること、“寂照主人”の印章が真新しいことから、三十代の前半、伊勢に住むようになってほど遠くない時期に描いたものということがわかるのである。
 晩年、月僊は、人気作家故の多作乱作に陥るが、この作品は、非常に丁寧な描き方で、しかも、顔などの表現に当時最新流行の洋風表現を取り入れていることで、着目すべき作品になっている。(山口泰弘)125の作品・三重県立美術館所蔵品 1992年

 

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